マリア・アンナ・フォン・ザクセン=アルテンブルク
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マリア・アンナ・フォン・ザクセン=アルテンブルク Maria Anna von Sachsen-Altenburg | |
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シャウムブルク=リッペ侯夫人マリア・アンナ、1885年頃 | |
出生 |
1864年3月14日 ザクセン=アルテンブルク公国、アルテンブルク |
死去 |
1918年5月3日(54歳没) シャウムブルク=リッペ侯国、ビュッケブルク |
埋葬 | シャウムブルク=リッペ侯国、ビュッケブルク霊廟 |
配偶者 | シャウムブルク=リッペ侯ゲオルク |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | モーリッツ・フォン・ザクセン=アルテンブルク |
母親 | アウグステ・フォン・ザクセン=マイニンゲン |
マリア・アンナ・フォン・ザクセン=アルテンブルク(Maria Anna von Sachsen-Altenburg, 1864年3月14日 - 1918年5月3日)は、ドイツのザクセン=アルテンブルク家の公女で、シャウムブルク=リッペ侯ゲオルクの妻。
生涯
[編集]ザクセン=アルテンブルク公子モーリッツとその妻でザクセン=マイニンゲン公ベルンハルト2世の娘であるアウグステの間の第1子、長女として生まれた。1882年4月16日にアルテンブルクにおいて、シャウムブルク=リッペ侯家の世継ぎ公子だったゲオルクと結婚する。夫妻はシュタットハーゲンに新しく築かれた城館で暮らし、ゲオルクは1893年に侯位を継いだ。マリア・アンナは教会や学校を援助し、シュタットハーゲンのマリア・アンナ財団(Marie Anna Stift)を創設した。
マリア・アンナは死んだ夫の棺を訪れた際、棺の中で発生していた細菌が原因で敗血症を起こし、亡くなった。そしてビュッケブルク霊廟(Mausoleum Bückeburg)に葬られた。
子女
[編集]- アドルフ・ベルンハルト・モーリッツ・エルンスト・ヴァルデマール(1883年 - 1936年) - シャウムブルク=リッペ侯
- モーリッツ・ゲオルク(1884年 - 1920年)
- ペーター(1886年)
- エルンスト・ヴォルラート(1887年 - 1962年) - シャウムブルク=リッペ侯家家長
- シュテファン・アレクサンダー・ヴィクトル(1891年 - 1965年)
- ハインリヒ・コンスタンティン・フリードリヒ・エルンスト(1894年 - 1952年)
- マルガレーテ(1896年 - 1897年)
- フリードリヒ・クリスティアン・ヴィルヘルム・アレクサンダー(1906年 - 1983年)
- エリーザベト・ヘルミーネ・アウグステ・ヴィクトリア(1908年 - 1933年) - 1928年にベンヴェヌート・ハウプトマン(ゲアハルト・ハウプトマンの息子)と結婚(同年離婚)、1930年にへーリンク・フォン・フランケンスドルフ男爵ヨハンと再婚