マノリータ・ピニャ・トレス
マノリータ・ピニャ Manolita Piña | |
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マノリータと家族(1916年ごろ) | |
生誕 |
マノリータ・ピニャ 1883年2月24日 スペイン・バルセロナ |
死没 |
1994年6月11日 ウルグアイ・モンテビデオ |
国籍 | ウルグアイ |
職業 | 画家 |
配偶者 | ホアキン・トレス・ガルシア |
子供 | 4人 |
マノリータ・ピニャ・トレス・ガルシア、旧姓ルビー(Manolita Pina Torres-Garcia、1883年2月24日 - 1994年6月11日[1])は、ウルグアイのスーパーセンテナリアン。スペイン出身[1]。ウルグアイの歴代最高齢者で、ウルグアイで唯一検証されたスーパーセンテナリアンでもある[2]。
ウルグアイでは「ドニャ・マノリータ(DoñaManolita)」という名で知られている[3]。彼女はホアキン・トレス・ガルシアの考える「切っても切れない仲間」であり[4]、本人もホアキンの会議や展示会に同行し、芸術的な努力のすべてを支えていた[5]。そのことから「ガルシアの影」とも言われることもある[5]。そのほか、モンテビデオのトレス・ガルシア美術館の創設者でもあった[6]。
人物
[編集]1883年2月24日、スペイン・バルセロナの裕福な家庭に生まれる。両親から古典的な教育を受けており、晩年までピアノを弾いていた[6]。
1908年8月20日にバルセロナでホアキン・トレス・ガルシアと結婚[7]。1911年に第一子を出産[8]。ヨーロッパ、ニューヨークに旅行したのち1934年にモンテビデオに定住する[3]。
ピニャのアートはホアキンのアートとともに、エミリオ・エレナによって収集された[9]。エレナはピニャの絵を創造的で美しいと言及したが、ピニャ自身は結婚した後に絵を描くのをやめた[9]。ピニャは、自身が夫よりも優れた画家になることや、夫の仕事を邪魔することを防ぐために絵を描くのをやめたと述べている[6]。しかし、絵を描くのをやめたものの、絵に対する意見はいつでも歓迎されていると感じたという[5]。
ホアキンが1913年に発行した著書 『ノート・オン・アート』には、彼女の作成した木版画の記録があったため、当時もまだ芸術活動を続けていた可能性がある[5]。
ピニャは、政治は夫と議論することのある数少ないことの1つであったと言う[10]。ピニャは芸術以外でも政治的な迫害に苦しんでいる芸術家を助けていたことでも知られていた[5]。4人の孫のうちの2人は投獄されたのち亡命しており、ピニャの家は捜索されたこともあった[10]。ピニャはまた、フレスコの絵の破壊などのバルセロナであった芸術に関する犯罪から、バルセロナに戻らないことを決意した[11]。
夫の死去後
[編集]1951年、ピニャは刺繡によるタペストリーの制作に専念するグループ『MAOTIMA』をモンテビデオに設立した[5]。名前の由来は設立時のメンバーの名前からである。
また、ピニャは夫の作品のコレクターであり、生前は見られなかった作品の多くの宣伝を手伝った[12]。また、彼の350以上の芸術作品の作品の残りを調べたこともあった[13]。ピニャは、夫の死後、彼の遺産を保護する必要があると感じたため、美術館を設立することになった[6][14]。ピニャは美術館支援のための財団を設立し、1953年7月29日に開館したが[15]、博物館は政府が安定し、1986年に現在の形で開館するまでに、長期にわたる困難な歴史を経ていた[15]。ピニャは、美術館の開館に向けた熱意と力強さにおいて評価された[16]。財団の設立と美術館を開館することに加え、彼女は夫の人生を記録するためのアーカイブも設立した[14]。ピニャはしばしば夫の肖像画の主題になることがあり[3]、夫以外にもラファエル・バラダスなどの他人の絵画の主題になることもあった[17]。
1993年に110歳の誕生日を迎え、スーパーセンテナリアンの仲間入りを果たす。
1994年6月11日、死去。111歳107日。
外部リンク
[編集]- Manolita Pina - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
脚注
[編集]- ^ a b “Manolita Pina-Torres” (英語). Gerontology Wiki. 2021年12月4日閲覧。
- ^ “List of oldest people from Uruguay” (英語). Gerontology Wiki. 2021年12月5日閲覧。
- ^ a b c “Manolita Piña, viuda del pintor Joaquín Torres”. El Pais. (14 June 1994) 25 April 2015閲覧。
- ^ “Desde el vientre más olvidado” (スペイン語). El Observador. (11 May 2014). オリジナルの23 April 2015時点におけるアーカイブ。 22 April 2015閲覧。
- ^ a b c d e f g “Manolita Piña de Rubies” (スペイン語). Diccionari Biografic de Dones. 23 April 2015閲覧。
- ^ a b c d “Manolita Piña Torres” (スペイン語). Museo Torres Garcia. 4 March 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。22 April 2015閲覧。
- ^ Sureda, Joan (1998) (スペイン語). Torres Garcia: Pasion Clasica. Akal Ediciones. ISBN 9788446008149
- ^ EFE (1994年6月13日). “Manolita Piña, viuda del pintor Joaquín Torres” (スペイン語). El País. ISSN 1134-6582 2021年12月4日閲覧。
- ^ a b De Rozas, Marilu Ortiz (13 May 2011). “Torres Garcia y Manolita Pina en Galeria Animal” (スペイン語). El Mercurio 23 April 2015閲覧。
- ^ a b “Manolita Pina de Torres Garcia - 104 Anos de Invencibilidad” (スペイン語). El Montevideano - Laboratorio de Artes (23 August 2009). 26 April 2015閲覧。
- ^ “Manolita Pina de Torres Garcia - 104 Anos de invencibilidad (2)” (スペイン語). El Montevideano - Laboratorio de Artes (30 August 2009). 25 April 2015閲覧。
- ^ “Ejemplos de osmótica entre las programaciones de galerías, museos y fundaciones” (スペイン語). Arteinformado. (24 May 2011) 22 April 2015閲覧。
- ^ Carrato, Victor (29 April 2014). “La obra de Torres García en disputa”. Caras & Caretas 23 April 2015閲覧。
- ^ a b “Saatchi Gallery” (スペイン語). Saatchi Gallery. 23 April 2015閲覧。
- ^ a b “History Museo Torres García” (スペイン語). Museo Torres Garcia. 14 May 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。22 April 2015閲覧。
- ^ “Olimpia Torres - A Mi Padre Llegaron a Quere Apunalarlo” (スペイン語). El Montevideano - Laboratorio de Artes (21 August 2009). 25 April 2015閲覧。
- ^ “Manolita Piña de Torres García”. Wahoo Art. 25 April 2015閲覧。