マヌエル・ガルバン
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マヌエル・ガルバン | |
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生誕 | 1931年1月14日 |
出身地 | キューバ オルギン州 Gibara |
死没 | 2011年7月7日(80歳没) |
ジャンル | ソン、ボレロ |
担当楽器 | ギター、トレス、ピアノ |
共同作業者 |
ロス・サフィーロス ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ ライ・クーダー |
マヌエル・ガルバン(Manuel Galbán、1931年1月14日 - 2011年7月7日)は、キューバのミュージシャン、ギタリスト。ロス・サフィーロスやブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブでの活動で知られる。
来歴
[編集]少年時代からギター、ピアノ、ドラムスを演奏し、1944年には自身の兄弟と共に「Orquesta Villa Blanca」を結成した[1]。1956年にハバナへ移住し、それからはラジオで多くの音楽に触れて、特にアメリカのギタリスト、デュアン・エディに傾倒していった[2]。1962年から1972年には、ロス・サフィーロスの音楽監督、ギタリスト、ピアニストとして活動した[1]。
1997年にはライ・クーダーとの出会いを果たし、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのツアー・メンバーとなるが、同年リリースのアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のレコーディングには参加していない[1]。1999年公開のドキュメンタリー映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』には、ノンクレジットで出演している[3]。また、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブで共演したイブライム・フェレールやオマーラ・ポルトゥオンドのツアー・ギタリストとしても活動した[1]。
2003年にはライ・クーダーと連名のアルバム『マンボ・シヌエンド』を発表し、同作は第46回グラミー賞で最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞を受賞した[4]。
2011年7月7日、ハバナの病院において80歳で死去[5]。2012年6月には、遺作となったアルバム『Blue Cha Cha』が発売された[6]。
脚注・出典
[編集]- ^ a b c d Jurek, Thom. “Manuel Galbán - Biography & History”. AllMusic. 2017年6月25日閲覧。
- ^ “Manuel Galban's Meandering 'Mambo'”. NPR (2008年5月31日). 2017年6月25日閲覧。
- ^ Buena Vista Social Club (1999) - Full Cast & Crew - IMDb
- ^ “46th Annual GRAMMY Awards”. GRAMMY.com. The Recording Academy. 2021年8月6日閲覧。
- ^ “Manuel Galbán, Legendary Cuban Guitarist, Dies at 80”. Nonesuch Records (2011年7月8日). 2017年6月25日閲覧。
- ^ Blue Cha Cha - Manuel Galbán | AllMusic