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マヌエル・オルティス・デ・ザラテ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マヌエル・オルティス・デ・ザラテ
Manuel Ortiz de Zárate
モディリアーニらとの写真[1]のオルティス・デ・ザラテ(右端:1910年)
生誕 (1887-10-09) 1887年10月9日
イタリアの旗 イタリアコモ
死没 1946年10月28日(1946-10-28)(59歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ロサンゼルス
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オルティス・デ・ザラテ作、『パイプのある静物画』(1920)

マヌエル・オルティス・デ・ザラテ(Manuel Ortiz de Zárate Pinto、1887年10月9日 - 1946年10月28日)は、イタリア生まれで、チリで育った画家である[2]1912年から1945年までパリやイタリアなどで活動した。

略歴

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イタリアのコモで、スペイン、アビラ県の名門一族に出自を持つ作曲家のエレオドロ・オルティス・デ・ザラテの息子に生まれた[2] 。兄に画家になったフリオ・オルティス・デ・ザラテ(Julio Ortiz de Zárate: 1885-1946)がいる[3]。4歳の時、家族とチリに移り、チリで育ち、画家のペドロ・リラ(1845-1912)から絵を学んだ後、サンティアゴの美術学校(Escuela de Bellas Artes)で短期間、学んだ。

15歳になった1902年に、ヨーロッパに渡り[2]、ローマで肖像画家として働いた後、1904年にはフランスに移り、パリ、モンパルナスに集まった前衛画家たちの一人となった。アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)やパブロ・ピカソ(1881-1973)、藤田嗣治(1885-1968)といった後に有名になる画家たちと友人になった[4][5]モダニズムのスタイルの静物画や風景画を描いた。1916年ころにはピカソの助手を務めた。

1920年から1940年の間、パリのサロン・ドートンヌに出展し[6] 、カミーロ・モーリ(Camilo Mori: 1896-1973)らのチリ出身の画家たちと美術家グループを作った。

第二次世界大戦でパリがドイツ軍に占領された時代もフランスに留まっていたが、戦後、アメリカに移住し、1946年にロサンゼルスで亡くなった。

娘のLaureは1932年にアメリカ人画家ジョン・フェレン(John Ferren: 1905–1970)と結婚したが1938年に離婚し[7] 、1941年に映画監督のユージン・ローリー(Eugène Lourié: 1903–1991)と再婚した[8]

脚注/参考文献

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  1. ^ 左からモディリアーニ、マックス・ジャコブ、アンドレ・サルモン、オルティス・デ・サラ(ジャン・コクトーによる撮影、モンパルナスにて、1916年10月11日)
  2. ^ a b c Klüver, Billy (1999) (英語). A Day with Picasso. MIT Press. pp. 46. ISBN 978-0-262-61147-3. https://books.google.com/books?id=SfhxxjUrXKAC&pg=PA46 
  3. ^ Subercaseaux, Bernardo (1997) (スペイン語). Historia de las ideas y de la cultura en Chile. Editorial Universitaria. pp. 19. ISBN 978-956-11-1707-5. https://books.google.com/books?id=AuK2JIs0LHkC&pg=PA19 
  4. ^ Back in favour: Japanese master who outshone Picasso in 1920s Paris” (英語). the Guardian (2018年4月15日). 2020年11月11日閲覧。
  5. ^ Rodríguez, Juan (February 12, 2017). “Los chilenos que frecuentaron el círculo de Pablo Picasso” [The Chileans who frequented Pablo Picasso's circle] (スペイン語). Economia y Negocios online. 2020年11月11日閲覧。
  6. ^ Greet, Michele (2017-06-06). “An International Proving Ground : Latin American Artists at the Paris Salons” (英語). Nuevo Mundo Mundos Nuevos. Nouveaux Mondes Mondes Nouveaux - Novo Mundo Mundos Novos - New World New Worlds. doi:10.4000/nuevomundo.70847. ISSN 1626-0252. http://journals.openedition.org/nuevomundo/70847. 
  7. ^ Greet, Michele (2017-06-06). “An International Proving Ground : Latin American Artists at the Paris Salons” (英語). Nuevo Mundo Mundos Nuevos. Nouveaux Mondes Mondes Nouveaux - Novo Mundo Mundos Novos - New World New Worlds. doi:10.4000/nuevomundo.70847. ISSN 1626-0252. http://journals.openedition.org/nuevomundo/70847. 
  8. ^ “Laure de Zarate Lourié” (フランス語). Le Monde.fr. (2001年2月10日). https://www.lemonde.fr/archives/article/2001/02/10/laure-de-zarate-lourie_4152489_1819218.html 2020年11月11日閲覧。