マドレーヌ・ボーダロ
マドレーヌ・ボーダロ Madeleine Bordallo | |
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生年月日 | 1933年5月31日(91歳) |
出生地 |
アメリカ合衆国 ミネソタ州、ビッグストーン郡 グレースビル |
出身校 |
セントマリー大学 セント・カタリナ大学 |
所属政党 | 民主党 |
配偶者 |
リカルド・ボーダロ (1953年入籍、1990年死別) |
子女 | 1人 |
選挙区 | グアム準州全州選挙区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 2003年1月3日 - 2019年1月3日 |
第6代グアム準州副知事 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1995年1月2日 - 2003年1月3日 |
グアム準州知事夫人 | |
在任期間 | 1975年1月6日 - 1979年1月1日 |
在任期間 | 1983年1月3日 - 1987年1月5日 |
グアム議会議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1981年1月 - 1983年1月 |
マドレーヌ・メアリー・ゼイエン・ボーダロ(英語: Madeleine Mary Zeien Bordallo, 1933年5月31日 - )は、アメリカ合衆国・グアムの政治家。
第2代・第4代グアム準州知事リカルド・ボーダロの妻として準州知事のファーストレディを務めた。夫の没後、女性初のグアム準州副知事に就任。その後、グアム準州選出のアメリカ合衆国下院代議員(通算8期)となった。グアム準州選挙区において、女性初かつ非チャモロ人初の米下院議員であり、2021年現在最も長い任期を務めた議員である[1]。
経歴・人物
[編集]1933年5月31日、ミネソタ州・ビッグストーン郡のグレースビルで生まれた。インディアナ州ノートルダムのセントマリー大学とミネソタ州セントポールのセント・カタリナ大学で音楽を学んだ。1950年代から1960年代にかけて、グアムのテレビ局KUAM-TVで司会者を務めていた[2]。
1953年、リカルド・ボーダロと結婚。夫リカルドは1975年から1979年、1983年から1987年までグアム準州知事を務め、マドレーヌはファーストレディとして、チャモロ文化の普及活動などを行った。1990年、リカルドは汚職容疑で有罪判決を受けるが、投獄前夜に自殺した[3]。
マドレーヌは同年行われた準州知事選挙に出馬。副知事にピン・ドゥエナス準州議員を指名したが落選した[4]。
1994年、民主党からカール・グティエレスの副知事候補として出馬。当選を果たし、1995年から2002年までグアム副知事を務めた。女性が副知事に就任するのは史上初のことであった。
アメリカ下院議員として
[編集]選挙
[編集]2002年、ロバート・A・アンダーウッドアメリカ下院代議員が、知事選への出馬を表明。マドレーヌは民主党員として下院議員に立候補し、当選。以後、グアム選挙区初の女性代議員として、2003年1月から2019年1月まで連続8期の任期を務めた。
2018年8月の民主党予備選でマドレーヌはニコラスに破れ、選挙を撤退した[5]。
不祥事
[編集]2008年4月、パシフィック・デイリー・ニュースの報道で、マドレーヌは以前からセント・カタリナ大学で准学士号を取得したとしていたが、実際には取得していなかったことが明らかになった。マドレーヌは公式プロフィールを訂正した上、謝罪した[6]。
所属委員会 (第115議会)
[編集]2017年から2019年の間に開催された第115議会における所属委員会を以下に挙げる。
- 下院軍事委員会
- 即応小委員会
- シーパワー・投射戦力小委員会
- エネルギー・天然資源委員会
- インディアン、島嶼地域、アラスカの先住民問題に関する小委員会
- 水、電力、海洋に関する小委員会
所属する議員連盟 (第115議会)
[編集]2017年から2019年の間に開催された第115議会において所属した議員連盟を以下に挙げる。
- アジア・太平洋諸島系アメリカ人議員連盟 (副議長)
- 米中議員連盟 (共同議長)
- 国際自然保護議員連盟
- 長距離打撃議員連盟
- 米比議員連盟
- 傷痍軍人議員連盟
- 米日議員連盟(ジャパン・コーカス)
- バルト地域議員連盟
- 新世代の緊急通報(9-1-1)議員連盟
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ^ “Woman's Governorship Quest Overshadows Abortion Fight on Guam”. Associated Press. (September 1, 1990)
- ^ “The Voter's Self Defense System”. 2021年1月12日閲覧。
- ^ “Ex-Guam Governor Kills Himself On Eve of Jailing for Corruption”. The New York Times (1990年2月1日). 2021年1月12日閲覧。
- ^ Hart, Therese (September 18, 2009). “Last respects for Senator Ping Duenas”. Marianas Variety. オリジナルのJuly 14, 2011時点におけるアーカイブ。 2021年1月12日閲覧。
- ^ Gaynor D. Daleno (Aug 26, 2018). “Bordallo to exit Congress after election loss”. The Guam Daily Post 2021年1月12日閲覧。
- ^ Steve Limtiaco (2008年4月12日). “Bordallo didn't earn degree”. Pacific Daily News
外部リンク
[編集]- United States Congress. "マドレーヌ・ボーダロ (id: B001245)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
- Congresswoman Bordallo official U.S. House website
- マドレーヌ・ボーダロ - C-SPAN
党職 | ||
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先代 リカルド・ボーダロ |
民主党 グアム準州知事選候補者 1990年 |
次代 カール・T・C・グティエレス |
公職 | ||
先代 フランク・F・ブラス |
グアム副知事 第6代: 1995年1月2日 - 2003年1月3日 |
次代 カリオ・モイラン |
アメリカ合衆国下院 | ||
先代 ロバート・A・アンダーウッド |
グアム準州全州選挙区 選出議員 第4代: 2003年1月3日 - 2019年1月3日 |
次代 マイケル・サン・ニコラス |