マドリード条約 (1526年)
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マドリード条約 (1526年) | |
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署名 | 1526年 |
署名場所 | マドリード |
締約国 | 神聖ローマ帝国・スペインとフランス |
主な内容 | フランスがブルゴーニュ、ミラノ公国、ナポリ王国、フランドル、アルトワなどを放棄 |
マドリード条約(マドリードじょうやく、フランス語: Traité de Madrid; スペイン語: Tratado de Madrid)は、イタリア戦争中に神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世とフランス王フランソワ1世との間で結ばれた条約。
背景
[編集]1521年、イタリア支配をめぐってハプスブルク家(オーストリア・スペイン)とフランスは戦争を開始した。1525年にフランス王フランソワ1世はパヴィアの戦いでスペイン軍に敗れて捕虜となり、マドリードへ送られた。スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)は、マドリード市民がフランソワ1世に同情的で、また教皇クレメンス7世やイングランド王ヘンリー8世などもカルロスに対立している情勢をみて、1526年にフランソワとの間で条約を結んだ。これがマドリード条約である。
内容
[編集]条約内容は、フランスがブルゴーニュ、ミラノ公国、ナポリ王国、フランドル、アルトワなどを放棄することを定めており、幼い仏王子2人と交換にフランソワ1世は釈放された。しかし、帰国したフランソワは翌1527年にこの条約を履行しないことを明らかにし、イングランド・イタリア諸国・教皇と手を組んで反ハプスブルク体制を固め、戦争を継続した。
なお、1526年には神聖ローマに属するサヴォワ家がプロヴァンスでニース伯を受領した。即ちモナコはスペインが支配した。
関連項目
[編集]- マドリード条約
- イタリア戦争
- アンヌ・ド・モンモランシー - 条約交渉に当たった。