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マトラ・ジェット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジェットDjet /Jet )は、フランスオトモビル・ルネ・ボネおよびマトラによって1962年から1967年まで生産された、世界で初めて市販されたミッドシップスポーツカーである。

ルネ・ボネ・ジェット

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ルネ・ボネ・ジェット
1964年のル・マン24時間レース参加車両
概要
販売期間 1962年-1964年
ボディ
乗車定員 2人
ボディタイプ 2ドア クーペ
駆動方式 MR
パワートレイン
エンジン 水冷4気筒OHV996cc/1,108cc/DOHC998cc
変速機 4速MT
前後とも独立 ダブルウイッシュボーン コイル
前後とも独立 ダブルウイッシュボーン コイル
車両寸法
ホイールベース 2,400mm
全長 4,220mm
全幅 1,500mm
全高 1,200mm
車両重量 615kg
系譜
後継 マトラ・ジェット
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フォーミュラカーの世界では常識となっていたミッドシップレイアウトを、世界で初めて市販スポーツカーに適用したモデルである。リアエンジン車のルノー・8のエンジンとギアボックスを前後逆に搭載したため、ホイールベース2,400mm、幅1,500mmの細長い独特のプロポーションとなっている。

エンジンのチューンによって、65馬力で最高速度165km/hのジェットI、8ゴルディーニ用80馬力で最高速度190km/hのジェットII、DOHC998cc100馬力のレース用ジェットIIIが存在した。

極めて高度な機構を持つ魅力的なスポーツカーではあったが、生産体制は小さく、価格も比較的割高であったため、経営難で生産中止となる1964年2月までにわずか197台が生産されたにすぎなかった。結果として商業的利益は上げられず、またフランス国外ではほとんど知られずに終わった[1]

1963年および1964年のル・マン24時間レースに参戦したが、1963年に熱効率指数賞を獲得したのみで目立った成績は残せなかった[2]

マトラ・ジェット

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マトラ・ジェット
概要
販売期間 1965年-1967年
ボディ
乗車定員 2人
ボディタイプ 2ドア クーペ
駆動方式 MR
パワートレイン
エンジン 水冷4気筒OHV1,108cc/1,255cc
変速機 4速MT
前後とも独立 ダブルウイッシュボーン コイル
前後とも独立 ダブルウイッシュボーン コイル
車両寸法
ホイールベース 2,400mm[3]
全長 4,220mm[3]
全幅 1,500mm[3]
全高 1,200mm[3]
車両重量 615kg[3]
系譜
先代 ルネ・ボネ・ジェット
後継 マトラ・M530
テンプレートを表示

1964年にオトモビル・ルネ・ボネを買収したマトラは、元シムカのPhilippe Guédonを起用し、ジェットの車体前後のデザインやウィンドスクリーンの形状を変更、内装も豪華なものに改め、マトラ初の市販車「マトラ・ジェット」として1965年4月に再登場させた。

かつてのジェットIに相当する出力70hp、最高速度170km/hのジェット5、ジェットIIに相当する90hp、最高速度190km/hのジェット5S、そしてジェットIIのエンジンを1,255ccに拡大し105hp、最高速度210km/hのジェット6の3種類のバリエーションが生産された。1966年以降は「Jet」と標記されるようになった。

当時のフランスでも日本円換算で200万円以上と高価で販売は伸びず、生産台数は1,495台に留まった。

1967年に登場した後継車のM530はミッドシップレイアウトは継承したものの全くの別物となり、エンジンをドイツフォード製のV型4気筒とし、2+2座席にしてファミリー層の取り込みを図るなど、生産性や販売面も配慮されたモデルとなった。

モータースポーツでは積極的にラリーに参戦したが、ライバルのアルピーヌに太刀打ちできず成果は上がらなかった。

脚注

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  1. ^ 『世界の自動車-11 シムカ マートラ アルピーヌ その他』p.51。
  2. ^ 『世界の自動車-11 シムカ マートラ アルピーヌ その他』p.49。
  3. ^ a b c d e 『世界の自動車-11 シムカ マートラ アルピーヌ その他』p.84。

参考文献

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  • 二玄社 別冊CG「自動車アーカイブVol2 60年代のイタリア/フランス車編」ISBN 4-544-09172-1
  • 大川悠『世界の自動車-11 シムカ マートラ アルピーヌ その他』二玄社