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マッシモ・ダレマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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マッシモ・ダレマ
Massimo D'Alema
生年月日 (1949-04-20) 1949年4月20日(75歳)
出生地 イタリアの旗 イタリアラツィオ州ローマ県
ローマ
所属政党 憲法第一条 (2017 - )
民主党(2007 - 2017)
左翼民主主義者(1998 - 2007)
左翼民主党(1991 - 1998)
イタリア共産党(1963 - 1991)
公式サイト Massimo D'Alema

イタリアの旗 副首相(閣僚評議会副議長)
内閣 第2次ロマーノ・プローディ内閣
在任期間 2006年5月17日 - 2008年5月8日

イタリアの旗 第74代 外務大臣
内閣 第2次ロマーノ・プローディ内閣
在任期間 2006年5月17日 - 2008年5月8日

内閣 ダレマ内閣
在任期間 1998年10月21日 - 2000年4月26日
大統領 オスカル・ルイージ・スカルファロ
カルロ・アツェリオ・チャンピ
テンプレートを表示

マッシモ・ダレマMassimo D'Alema1949年4月20日 - )は、イタリア政治家ジャーナリスト代議院議員(7期)。

首相(第77代)、副首相外務大臣第74代)、左翼民主党書記長(第2代)、左翼民主主義者書記長(初代)を歴任。

イタリア初の左翼民主主義者出身の首相だった。

イタリア共産党の政治家ジュセッペ・ダレマの息子。「ダレーマ」「ダ・レーマ」とも。

概要

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イタリア共産党(PCI)から政治家としてのキャリアを開始し、タンジェントポリミラノ地検による汚職摘発運動)事件によりキリスト教民主主義(DC)やイタリア社会党(PSI)などの旧勢力の権威が失墜し、イタリア政界の勢力図が新興の右派連合と左派連合の二大勢力の対立に収束されていこうとするさなかの1994年にPDS書記長に就任。1996年には社会主義インターナショナルの副議長に選ばれた。中道左派連合オリーブの木の躍進に貢献し、1998年に首相の地位についた。2000年4月、政権内の内紛により首相を辞任。2006年発足の第2次プローディ内閣外務大臣に就任。

関連項目

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外部リンク

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公職
先代
ジャンフランコ・フィーニ
ジュリオ・トレモンティ (en
イタリアの旗 イタリア共和国副首相
(閣僚評議会副議長)

フランチェスコ・ルテッリと共同)
2006年 - 2008年
次代
(廃止)
先代
ジャンフランコ・フィーニ
イタリアの旗 イタリア共和国外務大臣
第74代:2006年 - 2008年
次代
フランコ・フラッティーニ
先代
ロマーノ・プローディ
イタリアの旗 イタリア共和国首相
(閣僚評議会議長)

第77代:1998年 - 2000年
次代
ジュリアーノ・アマート
党職
先代
アキレ・オケット
左翼民主党書記長
第2代:1998年
次代
ワルテル・ヴェルトローニ
左翼民主主義者に改称)