マザメ
Mazamet | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オクシタニー地域圏 |
県 (département) | タルヌ県 |
郡 (arrondissement) | カストル郡 |
小郡 (canton) | マザメ1小郡、マザメ2小郡 |
INSEEコード | 81163 |
郵便番号 | 81200 |
市長(任期) |
オリヴィエ・ファーブル (2014年-2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération de Castres - Mazamet |
人口動態 | |
人口 |
10,173人 (2014年) |
人口密度 | 141人/km2 |
住民の呼称 | Mazamétains |
地理 | |
座標 | 北緯43度29分34秒 東経2度22分27秒 / 北緯43.4927777778度 東経2.37416666667度座標: 北緯43度29分34秒 東経2度22分27秒 / 北緯43.4927777778度 東経2.37416666667度 |
標高 |
平均:241m 最低:213 m 最高:1176m |
面積 | 72.08km2 |
公式サイト | Site de la mairie |
マザメ (Mazamet)は、フランス、オクシタニー地域圏、タルヌ県のコミューン。
タルヌ県とオード県の県境に接し、トゥールーズとベジエから等しい距離に位置している。町はおよそ1万人の人口を持ち、人口約2万5千人の都市圏の中心になる。
これまでの歴史で、町は150年あまりデレナージュ(fr、皮を傷つけることなく羊毛を取り去る技術)と、ヒツジやヤギの皮を用いる製革業で生計を立ててきた。それがマザメの産業革命だった。
地理
[編集]マザメはノワール山地およびオプール岩山、トレの畝間と呼ばれる空洞のふもとにある。
マザメを流れるのはトレ川とアルネット川である。温暖湿潤であり、アルン川とアルネット川谷で吹く北風と、南西風であるオタン風の恩恵を受けている。
マザメの町の近くには多くの湖や池がある。
由来
[編集]マザメの町は、オプール集落を追い出された住民たちが移住してきて生まれた。アルビジョワ十字軍時代、シモン・ド・モンフォールは要塞を攻撃し、住民を虐殺した後に町を破壊した。この虐殺から逃れた人々は、フランスに平和が戻ると、アルネット川のほとりにマサルネット(Masarnette)の村を築き、これがのちにマザメとなった。
歴史
[編集]タルヌの町の国際的な名声は150年前にさかのぼる。1980年代半ばまで、この新型のコミューンは国際的な産業や商業の中心地だった。
19世紀半ば、地理的に不利な状況であったにもかかわらず、小さなマザメの町は独自の活動、デレナージュを生み出した。この産業はアルゼンチン、オーストラリア、南アフリカ、ニュージーランド、ウルグアイとの貿易関係を確立するのに有利に働いた。
一方、割合は少ないものの、製革業はデレナージュに一部依存して、羊毛の町の中で良い位置を見つけていた。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2014年 |
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17251 | 16171 | 14440 | 12840 | 11481 | 10544 | 10158 | 10173 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[1]、2006年以降INSEE[2][3]。
ギャラリー
[編集]-
オプール集落
-
サン・ソヴール教会
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ノートルダム教会
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通り
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プロテスタント教会