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マサコ・ムトー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マサコ・ムトー
(武藤正子)
誕生 (1913-02-10) 1913年2月10日
日本の旗 日本福岡県北九州市門司区
死没 (2006-06-04) 2006年6月4日(93歳没)
職業 豆紙人形作家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 学士(文学)
最終学歴 梅光女学院(下関)
活動期間 1913年-2006年
ジャンル 芸術家
代表作 『「手のひらのしあわせ」』PHP研究所
『「雲日記」』海竜社(編注18,19)
『「マサコおばあちゃんの名言集」』海竜社(編注20)
デビュー作 『「88歳の豆紙人形展」』(2001年)
親族 ヒロコ・ムトートシコ・ムトー
公式サイト https://kokotaku.com
ウィキポータル 文学
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マサコ・ムトー1913年 - 2006年6月4日、 武藤 正子、むとう まさこ)は、日本の豆紙人形[1]作家

来歴

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北九州市門司区生まれ。1930年、下関市梅光女学院卒業。

1983年、70歳。パステル画を習い始める。1991年、78歳。初めての個展(パステル画)が産経新聞夕刊「あすへ」(日本のグランマ・モーゼス)にて紹介される。

2001年9月、88歳。「手のひらに乗るような小さな豆紙人形展」を開き、豆紙人形家としてデビュー。翌2002年、89歳。御茶ノ水おりがみ会館で一か月個展。同年、PHP研究所より初めての作品集「手のひらのしあわせ」を出版。2003年、90歳。故郷・門司市&下関市にて、NHK朝ドラの主人公にと署名運動が始まり、4万人の署名が集まる。2003年、90歳。米・シアトル豆紙人形訪問展。2004年、91歳。パリ・エスパスジャポン展。2005年、92歳。パリ・日本文化会館アンコール展。2006年、93歳。6月4日逝去。

没後の動き

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2007年、パリ三カ所にてマサコ・ムトー追悼展(サン・シュルピス教会、パリ・日本人学校、ラ・フォンテーヌ校)2013年、北九州市「到津の森公園」にて、「生誕100年マサコ・ムトー人間展」二か月半開催。2019年、開業105年を迎える北九州市門司港駅に遺作79点寄贈。

出典

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  1. ^ 手のひらに乗るような小さな紙人形を作ったマサコ・ムトーが顔が豆のように小さいので、自身の作品を「豆紙人形」と名付けた。(2001年初めての豆紙人形展)

参考文献

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  • 1)産経新聞夕刊 1991年5月26日(七十の手習いで個展)
  • 2)読売新聞朝刊全国版 2001年8月29日(大正の風情紙人形で再現)
  • 3)産経新聞夕刊 2002年9月28日(人生 遅すぎることはない)
  • 4)朝日新聞夕刊全国版 2003年2月17日(情熱人生連ドラに署名4万人)
  • 5)THE NORTH AMERICAN POST(北米報知新聞)2003年11月11日

(大正・昭和初期の日本を伝える手作り豆人形がシアトルへ)

  • 6)西日本新聞朝刊 2004年6月17日(おばあちゃんの豆紙人形パリへ)
  • 7)西日本新聞夕刊 2004年7月3日(パリに華やぐ豆紙人形)
  • 8)西日本新聞夕刊 2004年7月8日(豆力士人形 仏大統領へ)
  • 9)毎日新聞夕刊全国版2004年7月15日(消えゆく伝統を人形に)
  • 10)産経新聞 2004年9月20日(豆紙人形にパリっ子感動)
  • 11)西日本新聞 2007年5月27日(パリの教会で遺作展)
  • 12)産経エクスプレス 2007年6月11日(豆紙人形の感動再び)
  • 13)西日本新聞 2013年2月10日(4月に初の里帰り展)
  • 14)朝日新聞朝刊北九州版 2013年3月25日(豆紙人形 老境の輝き)
  • 15)西日本新聞朝刊社会面コラム春秋 2013年3月25日(生誕100年人間展)
  • 16)毎日新聞朝刊北九州版 2013年4月7日(小さな紙人形など展示)
  • 17)西日本新聞 2013年4月9日(日本の暮らし伝える豆紙人形)
  • 18)神奈川新聞 2012年10月8日(闘病支えた雲日記)
  • 19)東京新聞夕刊 2012年10月9日(亡き母が闘病中に描いた絵日記)
  • 20)毎日新聞夕刊 2013年4月20日(あきらめない母の言葉を)