マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ Magno Alves de Araújo | |||||
愛称 | マグノ、サンバ特急 | |||||
ラテン文字 | MAGNO ALVES | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1976年1月13日(48歳) | |||||
出身地 | アポラー | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1995 | ラトランス | 4 | (6) | |||
1995-1996 | ヴァリーニョス | 10 | (5) | |||
1996-1997 | インデペンデンテ | 11 | (11) | |||
1997 | アラサトゥバ | 14 | (8) | |||
1997 | クリシューマ | 15 | (8) | |||
1998-2002 | フルミネンセ | 265 | (114) | |||
2003 | 全北現代モータース | 44 | (27) | |||
2004-2005 | 大分トリニータ | 62 | (29) | |||
2006-2007 | ガンバ大阪 | 53 | (36) | |||
2007-2008 | アル・イテハド | 20 | (14) | |||
2008-2010 | ウム・サラル | 47 | (36) | |||
2010 | セアラー | 21 | (9) | |||
2011 | アトレチコ・ミネイロ | 51 | (18) | |||
2012 | ウム・サラル | 11 | (6) | |||
2012 | スポルチ | 4 | (2) | |||
2012-2015 | セアラー | 156 | (84) | |||
2015-2016 | フルミネンセ | 65 | (11) | |||
2017-2018 | セアラー | 43 | (10) | |||
2018 | グレミオ・ノヴォリゾンチーノ | 7 | (0) | |||
2018 | トゥバロン | 8 | (1) | |||
2018-2019 | フロレスタ | 8 | (3) | |||
2020 | アラゴイニャス | |||||
2020 | Barcelona de Ilhéus | |||||
2020-2021 | カウカイア | |||||
通算 | 919 | (438) | ||||
代表歴 | ||||||
2001 | ブラジル | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ(Magno Alves de Araújo、1976年1月13日 - )は、ブラジル・バイーア州出身で元同国代表の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。
Kリーグ時代の登録名はマグノ(ハングル: 마그노)[1]、Jリーグ時代の登録名はマグノ・アウベス[2]。
経歴
[編集]地元のハトランスを経て、1995年にサンパウロ州のヴァリーニョスでプロ選手となる。プロ入り当時のポジションは右サイドミッドフィールダーだった。
1998年より在籍したフルミネンセFCでは、2000年にブラジル全国選手権で20ゴールを挙げて得点王となり、プラカール誌のボーラ・ジ・プラッタ(ベストイレブン)にも選出された[3]。2002年にはロマーリオと2トップを組み注目を集め、リオデジャネイロ州選手権で優勝した。2001年、ブラジル代表に選ばれ、FIFAコンフェデレーションズカップで3試合に出場。
2003年、初の海外移籍となる全北現代モータースへと移籍。得点ランキング2位となる27得点を記録し「サンバ特急」の異名をとった[4]。
2004年、大分トリニータへ移籍し、開幕戦となった3月13日の柏レイソル戦で初出場、初ゴールを決めた[5]。年間11得点を記録。2年目の2005年は18得点を記録し、チームの中心として貢献した。
2006年、2年間所属した大分の財政難もあり、ガンバ大阪に完全移籍。AFCチャンピオンズリーグにおいて、チームはGL敗退となったが、8得点を記録し得点王。Jリーグにおいても、3月12日セレッソ大阪戦、11月26日の京都サンガFC戦とシーズン中2度ハットトリックを決めるなど[6]、26得点を挙げ得点王に輝いた。入れ替わりに移籍し、前年の得点王だったアラウージョとプレースタイルは違うものの、ストライカーとして活躍した。
2007年も序盤はエースストライカーとして活躍も、故障が重なり満足な成績を上げられずにいた。そんな中、シーズン終盤の11月21日から練習を無断欠席してサウジアラビアに渡り、サウジ・リーグのアル・イテハドと仮契約を結んでいたことが判明 [1]。契約違反であるとして、同月23日付けで制裁金を課された上でG大阪を解雇された。
移籍先のアル・イテハドではシーズン途中での選手登録であるにもかかわらず、サウジ・リーグアル・ナスル戦(2008年1月3日)での1試合4得点を含むリーグ9位タイとなる通算9得点(カップ戦を含めば10得点)を挙げるなど、エースストライカーとして活躍した。しかしイスラームの厳しい戒律に耐えられず、2008年6月にカタールのウム・サラルSCにわずか半年で移籍した。
ウム・サラルでも攻撃の中心選手として活躍し、2008-09シーズンのカタールリーグで得点王を獲得した。
人物・エピソード
[編集]この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 2002年、リオデジャネイロ州選手権のサンタ・クルス戦では1試合で5ゴールを挙げている。
- 大分トリニータ時代、チームスポンサーでもあったレストラン・ジョイフルの大分市内の店舗へたびたび家族で食事に訪れていた。好きなメニューは「みぞれチキンステーキ」で、いつも決まって注文しているのをサポーターなどに頻繁に目撃されていた。
- 2004年のオフシーズンの移籍騒動で、サポーターが練習場に残留を求める横断幕を掲げた。感動したマグノは、自宅で妻と去就を相談する際に涙したという。年末、「残留するなら、それはサポーターの為だ」との言葉を残し帰国。結局翌2005年も大分でプレーした。
- 2005年J1リーグ第23節浦和レッズ戦、厳しい残留争いをする中、自らのゴールで1ヶ月ぶりの勝利をもたらす。その後インタビューで「浦和という強いチームに勝てた。まだトリニータは死んでいない。これからと言いたい」とコメントした。これは、いまだに大分サポーターに語り継がれている。
- ガンバ大阪に移籍後、前年得点王のアラウージョと比較されていることに対して「彼は過去のこと」と発言したり、チームメイトとなった播戸竜二は「マグノには、(播戸が)10点取るまで全く相手にしてもらえなかった」と語るなど、ストライカーとしてのプライドをうかがわせるエピソードも多い。
- 敬虔なクリスチャンとして知られている。一方で激しい闘争心の持ち主でもあり、2006年J1リーグ第3節で古巣大分戦で1-3で敗れた際は、試合後同僚のフェルナンジーニョにつかみ掛かっている。
- 2006年のJ1リーグ得点王を分け合った浦和レッズのワシントンとは2001年のコンフェデレーションズカップでセレソンの2トップを組んだ間柄だった(ワシントンからは「スピードがあり、上手い」と賞賛されている)。
- 清水エスパルスからは2004年(大分トリニータ)、2007年(ガンバ大阪)、2008年(アル・イテハド)と3度オファーを受けたが、全て断っている。
- ウム・サラル会長でカタール王族のファイサル・ビン・ハマドからは「マグノがいなければチームは勝てない。引退するまでうちでプレーして欲しい」と絶大な信頼を寄せられていた。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1994 | ラトランス | ||||||||||
1995 | |||||||||||
1995 | ヴァリーニョス | ||||||||||
1996 | |||||||||||
1996 | インデペンデンテ | ||||||||||
1997 | |||||||||||
1997 | アラサトゥバ | ||||||||||
1997 | クリシューマ | セリエB | 15 | 8 | |||||||
1998 | フルミネンセ | ||||||||||
1999 | セリエC | ||||||||||
2000 | セリエA | 23 | 19 | ||||||||
2001 | 26 | 7 | |||||||||
2002 | 23 | 10 | |||||||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 全北現代 | 9 | Kリーグ | 44 | 27 | ||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 大分 | 10 | J1 | 29 | 11 | 6 | 1 | 2 | 2 | 37 | 14 |
2005 | 33 | 18 | 3 | 0 | 2 | 2 | 38 | 20 | |||
2006 | G大阪 | 9 | 31 | 26 | 2 | 0 | 5 | 3 | 38 | 29 | |
2007 | 22 | 10 | 7 | 2 | 0 | 0 | 29 | 12 | |||
サウジアラビア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2007-08 | アル・イテハド | 9 | SPL | 20 | 14 | ||||||
カタール | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2008-09 | ウム・サラル | 9 | QSL | 27 | 25 | ||||||
2009-10 | 20 | 11 | |||||||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | セアラー | セリエA | 21 | 9 | - | ||||||
2011 | アトレチコ-MG | 4 | 1 | - | |||||||
通算 | ブラジル | ||||||||||
韓国 | Kリーグ | 44 | 27 | ||||||||
日本 | J1 | 115 | 65 | 18 | 3 | 9 | 7 | 142 | 75 | ||
サウジアラビア | SPL | 12 | 9 | ||||||||
カタール | QSL | 47 | 36 | ||||||||
総通算 |
- 出場歴
- その他の公式戦
- 2006年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2007年
- スーパーカップ 1試合3得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2006 | G大阪 | 9 | 6 | 8 |
2008 | アル・イテハド | 3 | 2 | |
2009 | ウム・サラル | 10 | 2 | |
通算 | AFC | 19 | 12 |
その他の国際公式戦
- 2006年
- A3チャンピオンズカップ 3試合2得点
代表歴
[編集]- ブラジル代表
- 2001年 - FIFAコンフェデレーションズカップ (3試合0得点)
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 3試合(2001年)[7]
ブラジル代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2001 | 3 | 0 |
通算 | 3 | 0 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- フルミネンセ
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエC:1回 (1999年)
- カンピオナート・カリオカ:1回 (2002年)
- 全北現代モータース
- 韓国FAカップ:1回 (2003年)
- ガンバ大阪
- ナビスコカップ:1回 (2007年)
- ゼロックススーパーカップ:1回 (2007年)
- アル・イテハド
- サウジ・プロフェッショナルリーグ:1回 (2007年)
- セアラー
- カンピオナート・セアレンセ:3回 (2013年、2014年、2017年)
個人
[編集]- ブラジル全国選手権セリエA 得点王:1回 (2000年 20得点)
- ブラジル全国選手権セリエA ボーラ・ジ・プラッタ (ベストイレブン):1回 (2000年)
- Kリーグベストイレブン:1回 (2003年)
- Kリーグベストストライカー賞1回 (2003年)
- Jリーグ得点王:1回 (2006年)
- Jリーグ優秀選手賞:2回 (2005年 - 2006年)
- Jリーグベストイレブン:1回 (2006年)
- JリーグオールスターサッカーMVP:1回 (2005年)
- AFCチャンピオンズリーグ得点王:1回 (2006年)
- カタール・スターズリーグ得点王:1回 (2008-09)
その他
[編集]- 大分市栄誉市民賞 (2005年)
出典
[編集]- ^ “마그노”. K League. 2023年11月6日閲覧。
- ^ “マグノ アウベス”. J.League. 2023年11月6日閲覧。
- ^ “FUNDAÇÃO MAGNO ALVES É INAUGURADA EM APORÁ”. Federação Baiana de Futebol (2007年1月16日). 2007年6月27日閲覧。
- ^ “大分、逆転でホーム開幕飾った!”. nikkansports.com (2004年3月21日). 2007年6月27日閲覧。
- ^ “マグノ アウベス”. j-league 17 April 2020閲覧。
- ^ “Jリーグ ハットトリック一覧”. data.j-league. 21 April 2020閲覧。
- ^ マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ - National-Football-Teams.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ - National-Football-Teams.com
- マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ - Soccerway.com
- マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ - FootballDatabase.eu
- マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ - WorldFootball.net
- マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ - Transfermarkt.comによる選手データ
- マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ - FIFA主催大会成績
- マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ - J.League Data Siteによる選手データ
- マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ - K League
- マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ - playmakerstats.com
- マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ (@magno_alves11) - Instagram