マクス・ソロヴェイチク
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マクス・ソロヴェイチク | |
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生年月日 | 1883年9月10日 |
出生地 | ロシア帝国、コヴノ(現カウナス) |
没年月日 | 1957年 |
死没地 | イスラエル、テルアビブ |
出身校 | ジュネーヴ大学 |
在任期間 | 1920年12月15日 - 1922年11月13日 |
内閣 | 第4次内閣(ミーコラス・スレジェヴィチュス首相) |
在任期間 | 1919年4月12日 - 1919年10月2日 |
内閣 | 第6次内閣(カジース・グリニュス首相) |
在任期間 | 1920年6月19日 - 1922年1月18日 |
内閣 | 第7次内閣(エルネスタス・ガルヴァナウスカス首相) |
在任期間 | 1922年2月2日 - 1922年12月(任期途中) |
マクス・ソロヴェイチク(ヘブライ語: מקס סולובייצ'יק、リトアニア語: Maksas Soloveičikas マクサス・ソロヴェイチカス)、1883年8月10日 - 1957年)は、リトアニアの政治家。ユダヤ人。
経歴
[編集]ロシア帝国のコヴノ(現・リトアニア領カウナス)で学んだ後、サンクト・ペテルブルクへと移り、続いてドイツ、そしてスイスのジュネーヴで勉学に励んだ。イスラエルの歴史に興味を持ち、パレスチナや近東を旅行。ジュネーヴ大学で博士号(哲学)を取得。
1904年よりサンクト・ペテルブルクに住み、そこでシオニストの雑誌の編集に携わる。また、大学でユダヤ史などを教えた。
第一次世界大戦後、リトアニアへ戻る。1919年、パリ講和会議に出席。
1920年12月15日から1922年11月13日まで憲法制定議会議員(第6(ウテナ)選挙区より選出)。ユダヤ会派に所属。
1919年4月12日から1922年12月までユダヤ大臣を務める(1923年1月、任期途中で退任したソロヴェイチクに代わってユリュス・ブルツクスがユダヤ大臣に就任(1923年2月22日まで))。
1923年、ソロヴェイチクはリトアニアを去りベルリンに移る。ドイツでアドルフ・ヒトラーが台頭すると、1933年にパレスチナに移住。
参考文献
[編集]- Soloveičikas Maksas, Trumpos Steigiamojo Seimo narių biografijos su atvaizdais, Klaipėda, 1924, p. 54.
- Soloveičikas Maksas, Lietuvių enciklopedija, Boston, 1963, t. 28, p. 290–291.
- Bendikaitė E., Soloveičikas Maksas, Lietuvos Steigiamojo Seimo (1920–1922 metų) narių biografinis žodynas, sud. A. Ragauskas, M. Tamošaitis, Vilnius, 2006, p. 335.
- Šarūnas Liekis, „A State within a State? Jewish autonomy in Lithuania 1918–1925“, Vilnius 2003, ISBN 9955-9613-5-X, p. XII