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マキシミリアン・フォン・ヘルフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2人のユダヤ人レジスタンスを尋問するマクシミリアン・フォン・ヘルフ。ユルゲン・シュトロープ(後列中央)がハインリヒ・ヒムラーに宛てたワルシャワ・ゲットー蜂起の1943年5月の報告書より。

マキシミリアン・フォン・ヘルフ(Maximilian von Herff、1893年4月17日1945年9月6日)は、ナチス・ドイツの軍人。親衛隊の将軍。親衛隊の12ある本部の1つ「親衛隊人事本部」(SS Personalhauptamt)の本部長を務めた。最終階級は親衛隊大将(SS-Obergruppenführer)。

略歴

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ハノーファー出身。第一次世界大戦に従軍。一級鉄十字章二級鉄十字章を受章している。戦後のヴァイマル共和国時代、ナチス時代のドイツ国防軍にも残留した。第二次世界大戦開戦の際には中佐階級となっていた。北アフリカで戦闘団「フォン・ヘルフ(von Herff)」を指揮して活躍した。1941年6月に騎士鉄十字章を叙勲し、10月に大佐に昇進している。

1942年4月1日には国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)に入党(党員番号8,858,661)、また親衛隊に入隊(隊員番号405,894)した。1942年5月から敗戦までの間、親衛隊人事本部の本部長をつとめていた。親衛隊の12の本部の本部長達の中では唯一の騎士鉄十字章の叙勲者であった。ドイツの敗戦後捕虜となり、イギリスのConishead Priory軍事病院で死去した。

階級

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ドイツ陸軍

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  • 1915年2月11日:少尉(Leutnant)(辞令1913年6月23日)
  • 1918年10月18日:中尉(Oberleutnant)
  • 1928年2月1日:大尉(Hauptmann)
  • 1934年10月1日:少佐(Major)
  • 1937年8月1日:中佐(Oberstleutnant)
  • 1941年10月1日:大佐(Oberst)

親衛隊

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  • 1942年4月20日:親衛隊少将及び武装親衛隊少将(SS-Brigadeführer und Generalmajor der Waffen-SS)
  • 1943年1月30日:親衛隊中将及び武装親衛隊中将(SS-Gruppenführer und Generalleutnant der Waffen-SS)
  • 1944年4月20日:親衛隊大将及び武装親衛隊大将(SS-Obergruppenführer und General der Waffen-SS)

叙勲

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脚注

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  1. ^ laut Eintrag in seiner SS-Stammrolle; dennoch darf die Richtigkeit dieser Verleihungsnummer wegen seines späten SS-Beitrittes stark anzweifelt werden! Quelle: Andreas Schulz, Günter Wegmann und Dieter Zinke: Deutschlands Generale und Admirale - Teil V: Die Generale der Waffen-SS und der Polizei 1933-1945, Biblio-Verlag Bissendorf 2005, 2. Band, S. 160 - Fußnote