マイケル・ボーヘルト
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基本情報 | ||||
本名 |
マイケル・アントニー・ボーヘルト Michael Anthonie Boogerd | |||
生年月日 | 1972年5月28日(52歳) | |||
国籍 | オランダ | |||
身長 | 178cm | |||
体重 | 62.5kg | |||
選手情報 | ||||
分野 | ロードレース | |||
特徴 | クラシックハンター | |||
プロ経歴 | ||||
1994-2007 |
ワードパーフェクト ノベル ラボバンク | |||
主要レース勝利 | ||||
ツール・ド・フランス ステージ通算2勝 セトマナ・カタラナ 1998, 2001 パリ〜ニース 1999 アムステルゴールドレース 1999 ジロ・デッレミリア 1999 オランダ選手権 個人ロード 1997, 1998, 2006 | ||||
最終更新日 2009年4月2日 |
マイケル・アントニー・ボーヘルト(Michael Anthonie Boogerd、1972年5月28日 - )はオランダのデン・ハーフ出身の元自転車競技選手。Michaelは「ミハエル」との表記も多い。
経歴
[編集]1994年にワードパーフェクトでデビュー。1996年、ツール・ド・フランス第6ステージでプロ初勝利を果たす。1997年にはオランダ選手権個人ロードで優勝。1998年にも優勝し、2連覇を達成した。1998年のツール・ド・フランスにおいて総合5位で完走した。そのため、一時期はグランツールの総合優勝を期待する声もあった[1]。1999年はパリ〜ニースで総合優勝をあげ、自国で開催されるアムステルゴールドレースでも優勝した。このときを含めてアムステルゴールドレースでは6回表彰台に上がっている。2002年のツール・ド・フランスでは2度目のステージ優勝を達成。このころからグランツールではアシストとして走る機会が増え、以後、リーヴァイ・ライプハイマー、ミカエル・ラスムッセン、デニス・メンショフらのアシストとして活躍する。2006年、3度目のオランダチャンピオンに輝く。2007年に現役を引退。
2013年3月6日、オランダ放送協会のインタビューにおいて、1997年から引退する2007年までドーピングしていたと認めた[2]。
主な戦績
[編集]1996年
[編集]- ツール・ド・フランス ステージ優勝
1997年
[編集]- ツール・ド・フランス総合16位
- オランダ選手権個人ロード優勝
1998年
[編集]- セトマナ・カタラナ総合優勝
- ツール・ド・フランス総合5位
- オランダ選手権個人ロード優勝
- ジロ・ディ・ロンバルディア2位
- アムステルゴールドレース4位
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ5位
- 世界選手権個人ロード6位
1999年
[編集]- パリ〜ニース総合優勝
- アムステルゴールドレース優勝
- ジロ・デッレミリア優勝
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ2位
- フレッシュ・ワロンヌ5位
- チューリッヒ選手権6位
- クラシカ・サンセバスティアン9位
2000年
[編集]- バスク一周総合9位
- アムステルゴールドレース2位
2001年
[編集]- セトマナ・カタラナ総合優勝
- ティレーノ〜アドリアティコ総合3位
- バスク一周総合7位
- ツール・ド・フランス総合10位
- ジロ・ディ・ロンバルディア3位
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ5位
- アムステルゴールドレース9位
- フレッシュ・ワロンヌ9位
2002年
[編集]- ツール・ド・フランス総合12位 ステージ優勝
- ジロ・デ・イタリア総合17位
- アムステルゴールドレース3位
- ジロ・ディ・ロンバルディア6位
2003年
[編集]- UCI・ロードワールドカップ年間2位
- ティレーノ〜アドリアティコ総合4位
- エネコ・ツアー総合7位
- アムステルゴールドレース2位
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ3位
- チューリッヒ選手権4位
- 世界選手権個人ロード5位
- クラシカ・サンセバスティアン8位
- ロンド・ファン・フラーンデレン9位
- ジロ・ディ・ロンバルディア10位
2004年
[編集]- ティレーノ〜アドリアティコ総合6位
- アムステルゴールドレース2位
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ2位
- ジロ・ディ・ロンバルディア2位
- 世界選手権個人ロード7位
2005年
[編集]- ツール・ド・ボローニュ総合6位
- バスク一周総合7位
- アムステルゴールドレース2位
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ3位
2006年
[編集]- ティレーノ〜アドリアティコ総合5位
- ツール・ド・フランス総合13位
- オランダ選手権個人ロード優勝
- アムステルゴールドレース3位
- チューリッヒ選手権4位
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ5位
- ジロ・ディ・ロンバルディア8位
2007年
[編集]- ティレーノ〜アドリアティコ総合10位
- ツール・ド・フランス総合12位
- アムステルゴールドレース5位
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ6位
- ロンド・ファン・フラーンデレン9位
脚注
[編集]- ^ ただし、本人は総合成績よりも山岳区間での区間優勝を重視する旨の発言をしている。
- ^ 自転車のボーヘルト氏が薬物使用 ツール・ド・フランスで2度優勝 - 共同通信 2013年3月6日付
外部リンク
[編集]- マイケル・ボーヘルト - サイクリングアーカイヴス
- マイケル・ボーヘルト - Olympedia