マイケル・バラット (宇宙飛行士)
マイケル・リード・バラット Michael Reed Barratt | |
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NASA宇宙飛行士 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
現況 | 現役 |
生誕 |
1959年4月16日(65歳) バンクーバー (ワシントン州) |
他の職業 | 医師 |
過去の職業 | 飛行外科医 |
宇宙滞在期間 | 211日11時間46分 [1] |
選抜試験 | 2000 NASA Group |
宇宙遊泳回数 | 2 |
宇宙遊泳時間 | 5時間6分 |
ミッション | 第19次長期滞在/第20次長期滞在 (ソユーズTMA-14), STS-133 |
記章 |
マイケル・リード・バラット(Michael Reed Barratt、1959年4月16日 - )は、アメリカ合衆国の医師、アメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士である。バラットは航空医学を専攻し、宇宙飛行士に選ばれる前は、NASAで飛行外科医として働いており、シャトル・ミール計画と国際宇宙ステーション(ISS)のためのNASAの宇宙医学プログラムの発展に寄与していた。最初の宇宙飛行はISSへの長期滞在ミッションで、フライトエンジニアとして第19次長期滞在及び第20次長期滞在に参加した。2011年3月、バラットはSTS-133での2度目の宇宙飛行を行った。
個人
[編集]バラットはバンクーバーで生まれたが、キャマスを故郷であると考えている。博士号を持つミッシェル・リン・バラットと結婚しており、5人の子供がいる[2]。父ジョセフと母ドナはキャマスに住んでいる。趣味は、家族や協会での活動、書き物、セーリング[3]、ボートの修理やメンテナンス[2]である。
教育
[編集]バラットは、1977年にキャマス高校を卒業した。1981年に動物学の学位を得てワシントン大学を卒業し、1985年にノースウェスタン大学で修士号を取得した。1988年にノースウェスタン大学で3年間の内科の研修を終え、1989年にはシカゴのVeterans Administration Lakeside Hospitalで研修を行った。1991年、バラットは、ライト州立大学、NASA、ライト・パターソン空軍基地で航空医学の修士号を取った[4]。
バラットは自家用飛行機の免許を持ち、NASAのT-38を操縦する資格を持つ[4]。
NASAでの活動
[編集]バラットは、1991年5月に航空医学プロジェクトのためにNASAのジョンソン宇宙センターに雇用された。1991年5月から1992年7月まで、彼はフリーダム宇宙ステーションで行われたHealth Maintenance Facility Projectにおいて高圧・呼吸器サブシステムの責任者を務めた。1992年7月、彼はNASAの航空医学の試験員に任命され、Space Shuttle Medical Operationsで働いた。
1993年7月、バラットはソユーズの修理現場への立ち会いに初めて招待された3人のアメリカ人のうちの1人に選ばれた。彼はNASAの宇宙ステーションからの乗組員の帰還機としてのソユーズの可能性の評価を依頼され、ソユーズTM-16がカザフスタンに着陸した後に彼らを迎えに現地に飛んだ[4][5](ソユーズは、結果として、ISSの帰還機に選ばれた)。
1994年1月、彼はシャトル・ミール計画への参加に選ばれた。彼は12ヵ月間、ノーマン・サガードとバックアップのボニー・J・ダンバーを支援する2人の飛行外科医のうちの1人としてガガーリン宇宙士訓練飛行センターで訓練と作業を行った。役割としては、NASAとロシアの医師の間の医学的なアプローチの相違の調整等があった。バラットと、同じく飛行外科医のデヴィッド・ワードは、ミールに備え付けられるMir Supplemental Medical Kitを開発し、またその利用法の訓練のプログラムも作成してNASAとロシアの宇宙飛行士に教えた[4][5]。
サガードはソユーズTM-21でミールを訪れ、STS-71で地球に帰還した。115日間の飛行で、バラットとワードはNASAのシャトル・ミールチームでCAPCOMを務めるとともに、飛行外科医としての任務も果たした[4][5]。
1995年7月から1998年7月まで、バラットはISSのMedical Operations Leadを務めた。頻繁にロシアを訪れ、彼はロシア科学アカデミーの生物医学問題研究所やその他のISSのパートナーセンターのカウンターパートとして働き、医学処置の手順や訓練法、ISSのための装置を開発した。バラットは1998年7月の第1次長期滞在から宇宙飛行士候補に選ばれるまで、乗組員の外科医のリーダーを務めた。彼はまた、Aviation, Space, and Environmental Medicine誌の共同編集者、教科書‘Principles of Clinical Medicine for Space Flight’の編集主任を務めた[2]。
バラットは2000年7月にNASAによってミッションスペシャリストに選ばれ、2000年8月から訓練を始めたと言われている。2年間の訓練と評価を終え、Astronaut Officeのステーション運用部門で技術的な仕事を行うようになった[2]。2004年10月、バラットはNEEMO 7ミッションで水中実験室に11日間滞在した[6][7]。
第19/20次長期滞在
[編集]バラットは2008年2月に第19次長期滞在の乗組員に指名され、2009年3月にソユーズTMA-14でISSを訪れた[8]。ISSへの滞在は、第20次長期滞在が終了する2009年10月まで続いた[9]。
STS-133
[編集]バラットは、ディスカバリーの最後の飛行となるSTS-133にミッションスペシャリストとして参加した。
出典
[編集]- ^ http://www.spacefacts.de/english/e_tis.htm
- ^ a b c d “Astronaut Bio: Michael Reed Barratt”. NASA. 2013年12月5日閲覧。
- ^ Barratt, Mike (October 2010). “The Ultimate 'Offshore' Passage”. Cruising World: 82-87.
- ^ a b c d e “Michael R. Barratt, M.D.” (PDF). ISS Phase 1 History Project. NASA (1998年4月14日). 2009年5月16日閲覧。
- ^ a b c Burrough, Bryan (1998). Dragonfly: NASA and the Crisis Aboard Mir. HarperCollins. ISBN 0-88730-783-3
- ^ NASA (2004年10月13日). “NEEMO 7”. NASA. 2011年9月23日閲覧。
- ^ Canadian Space Agency (2004年8月9日). “CSA - Neemo 7 Mission”. Canadian Space Agency. 2012年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月23日閲覧。
- ^ “NASA Assigns Crews for STS-127 and Expedition 19 Missions”. NASA (2008年). 2008年2月11日閲覧。
- ^ “Expedition 20”. NASA (2009年5月6日). 2009年5月17日閲覧。