ポール・ヘンリード
Paul Henreid ポール・ヘンリード | |
---|---|
1940年代に撮影された宣伝写真 | |
生年月日 | 1905年1月10日 |
没年月日 | 1992年3月29日(87歳没) |
出生地 | オーストリア=ハンガリー帝国、トリエステ |
死没地 | アメリカ合衆国、カリフォルニア州サンタモニカ |
職業 | 俳優、映画監督 |
活動期間 | 1933年 - 1977年 |
ポール・ヘンリード (Paul Henreid、1905年1月10日 - 1992年3月29日) はオーストリアの俳優、映画監督。誕生時のドイツ語名は、パウル・ゲオルク・ユリウス・ヘアンリート・リッター・フォン・ヴァッセル=ヴァルディンガウ(Paul Georg Julius Hernried Ritter Von Wassel-Waldingau)。
若年期
[編集]1905年、当時オーストリア=ハンガリー帝国領だったトリエステ(現イタリア領)に、ウィーンの貴族で銀行家の家庭に生まれた。ウィーンの劇場で学び、マックス・ラインハルトの下で劇場デビューした。1930年代には、ドイツ映画で映画デビューしたが、1935年にイギリスに渡った。第二次世界大戦の勃発に伴い、敵国人として国外追放や抑留の危険にさらされたが、コンラート・ファイトの尽力により、イギリスに抑留されず残ることを許可された。[1] 1939年、『チップス先生さようなら』で端役を演じ、その後ハリウッド渡航を許された。
経歴
[編集]1942年、ヘンリードは彼にとって最も重要になる2つの映画に出演した。『情熱の航路』では、彼とベティ・デイヴィスは、男が2つのタバコに火を付け、ひとつを女に手渡すという、映画の中で最も模倣されたシーンのひとつを演じた。ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマンと共に出演した『カサブランカ』では、英雄的な反ナチスの指導者ヴィクター・ラズロを演じた。
1946年、ヘンリードはアメリカ合衆国の市民権を得た。[2]
ヘンリードは、1940年代を通じて定期的に映画に出演し、1950年代初頭に映画とテレビの監督を始めた。彼の映画出演作品には、『海賊バラクーダ』 (1945)、『Of Human Bondage』 (1946)、『愛の調べ』 (1947)、『Thief of Damascus』 (1952)、『Siren of Bagdad』 (1953)、『黙示録の四騎士』 (1961)などがある。彼のテレビ監督作品には、『ヒッチコック劇場』、『マーベリック』、『ボナンザ』、『バークレー牧場』などがある。1964年、ヘンリードはベティ・デイヴィスが主演した『誰が私を殺したか?』を監督した。この映画でヘンリードの娘のモニカが端役を演じた。
死去
[編集]1992年、ヘンリードはカリフォルニアのサンタモニカで肺炎で亡くなり、ウッドローン墓地に埋葬された。彼は、有名になる前の1937年に、Mildred Jacobsという人物から受け取ったファンレターとともに埋葬された。彼は生前、その手紙は、自分が受賞したどんな賞よりも大切だと言っていた。
ヘンリードはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに2つの星を獲得している。ひとつ目(映画)はハリウッド大通り6366に、二つ目(テレビ)はヴァイン通り1722にある。
作品
[編集]俳優として
[編集]
|
|
監督として
[編集]- For Men Only (1952)
- A Woman's Devotion (1956)
- Live Fast, Die Young (1958)
- Girls on the Loose (1958)
- 誰が私を殺したか? Dead Ringer (1964)
- 星空 Ballad in Blue (1964)