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ポール・オーギュスト・アリオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・オーギュスト・アリオ(1917年頃)
図鑑の図版、Digitalis purpurea

ポール・オーギュスト・アリオ(Paul Auguste Hariot、1854年 - 1917年7月5日)はフランスの薬剤師、藻類を専門とする植物学者である。1900年の"Atlas Colorié des Plantes Médicinales Indigènes"(「先住民の薬用植物の多色図説」)などの著作で知られる[1]

略歴

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メリ=シュル=セーヌの薬剤師の息子に生まれた。1870年代後半、薬学の勉強中に高等薬学院(École Supérieure de Pharmacie)の植物学助手になった。1882年に薬剤師の資格をえるが、植物学者のベシュレル(Émile Bescherelle)とともに、ロマンス号(La Romanche)による喜望峰の調査に招かれ、この航海で優れた藻類のコレクションをつくり、学問の世界に転じた。

フランスに戻った自然科学を学び、1888年に学位を取り、パリ自然史博物館ヴァン・ティガン教授のもとで、隠花植物の研究を行った。標本館のセバスチャン・ヴァイヤンエドモン・テュラーヌ、シャルル・テュラーヌの集めた標本の分類を行い、多くの藻類の分類の見直しを行った。1890年にスミレモ(Trentepohlia、陸生藻類)の研究でフランス科学アカデミーからモンターニュ賞(Prix Montagne)を受賞した[2]。1913年にデマジエール賞(Prix Desmazières)も受賞した[3]。パリ自然史博物館の標本館の学芸員を務めた[4]

藻類に関する著書のほかに、多くの植物図鑑を製作し、最初のフランス海岸の海草図鑑も出版した。菌類の分野も研究し、植物物病理学会の設立者の1人でもある。

アリオに献名された種には、キク科Lagenophora hariotii (Franch.) T.R.Dudley,ラン科Chamaeangis hariotiana (Kraenzl.) Schltr.Microterangis hariotiana (Schltr.) Senghas 、ユキノシタ科Saxifraga hariotii Luizet & Souliéなどがある。

参考文献

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