ポンタ=ムッソン
Pont-à-Mousson | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | グラン・テスト地域圏 |
県 (département) | ムルト=エ=モゼル県 |
郡 (arrondissement) | ナンシー郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 54431 |
郵便番号 | 54700 |
市長(任期) |
アンリ・ルモワヌ (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Pays de Pont-à-Mousson |
人口動態 | |
人口 |
14,333人 (2008年[1]) |
人口密度 | 664人/km2 |
住民の呼称 | Mussipontain |
地理 | |
座標 | 北緯48度54分19秒 東経6度03分17秒 / 北緯48.9052777778度 東経6.05472222222度座標: 北緯48度54分19秒 東経6度03分17秒 / 北緯48.9052777778度 東経6.05472222222度 |
標高 |
平均:m 最低:172 m 最高:382 m |
面積 | 21.60km2 (2 160ha) |
公式サイト | www.ville-pont-a-mousson.fr |
ポンタ=ムッソン(Pont-à-Mousson)は、フランスのグラン・テスト地域圏ムルト=エ=モゼル県のコミューン。
地理
[編集]ロレーヌの心臓部に位置するポンタ=ムッソンは、標高382mのムッソン山のふもと、ナンシーとメスの中間地点に位置する。かつてはバル公爵の本拠地だった。
歴史
[編集]古代、モーゼル川を渡る主要貿易道は現在よりさらに南、デュールアールの位置にあった。この地にあった橋の前身は跡形もなく消えてしまっている。
10世紀初頭、この地はムッソン領主であるバル伯爵が所有していた。伯爵はムッソン山のふもとでモーゼル川に架かる橋を建設し、川沿いのこの交差地点はトゥール司教領、ロレーヌの首都たるナンシー、メス司教領からの数少ない街道であった。1230年代より村は発展した。地名は橋の名をとりポンタ=ムッソン(Pont-à-Mousson)となった。
ポンタ=ムッソンを創設したのは正式にはバル伯ティボー2世(fr)で、1261年のボーモン法(fr)によってである[2]。町はその後神聖ローマ帝国領となった。市議会議長を頭とし、7人の陪審員、18人の司法監察官からなっていた。町は4つの教区に分かれていた。1353年、神聖ローマ皇帝カール4世はバル伯ロベール1世に侯爵を授爵し、帝国議会に議席を持つ帝国諸侯とした。ポンタ=ムッソンは、歴代のバル公爵たち(アンジュー家、のちロレーヌ家)から様々な特権を与えられた。ロレーヌ公国がポンタ=ムッソンを併合してから、ポン侯爵の称号はロレーヌ公の公位継承予定者(prince héréditaire de Lorraine)が持つこととなった。
1572年、枢機卿シャルル・ド・ロレーヌは、イエズス会の申し立てのとおり大学を設置した。プロテスタントのドイツを眼前にすえ、それでもフランスのふところにありながら揺れ動く神聖ローマ帝国の中にあり、ムッソン周辺とロレーヌ公国はユグノー戦争と対抗宗教改革で地位を固めた。
17世紀、ポンタ=ムッソン大学は学生数2000人を抱える規模に成長していた。大学には哲学、美術、法律、薬学の4学部があった。学生たちは西欧や中欧から、学問の仕上げのためやってきていた。
1768年、ロレーヌ公国とバル公爵領はフランスへ併合された。ルイ15世はポンタ=ムッソン大学をナンシーへ移した。しかしポンタ=ムッソンは、エピナルと競争しながら芸術分野で輝き続けた。紙粘土工場は都市の文化発展に貢献していた[3]。
第一次世界大戦中のポンタ=ムッソンは、恐ろしく悲劇的な戦争の舞台となった。また、パットン将軍率いるアメリカ陸軍第3師団に解放されるまでの激しい戦闘で、ポンタ=ムッソンはひどく損傷した。
鉄鋼業
[編集]ポンタ=ムッソンの鉄鋼工場は1856年に完成し、2つの高炉を持っていた(燃料は木材か石炭であった)。他の2つの炉は1日あたり5トンから6トンと生産率が低かった。1869年、銑鉄を24000トン、鋳物を7000トン生産した。1894年には5つの高炉が設置され、第一次世界大戦前夜まで稼動した。
工場は第二次世界大戦の前後で5つの高炉を持っている。1964年にはもはや4つの溶鉱炉しかなかった。現在は3つの高炉が生産を行っている。地名を冠する企業はヴァンデル・シデロール(現アルセロール)の建設および関連部門を独占していたが、1971年からサンゴバンと合併しトラストを形成した。1966年からスエズ金融はポンタ=ムッソンの20%を保有する主要株主であった[4]。
みどころ
[編集]- メゾン・ド・セプト・ペシェ・カピトー(ルネサンス時代)
- コミューン庁舎(ルイ16世様式)
- ポンタ=ムッソン修道院(プレモントレ派)
- サン=マルタン教会
- サン=ローラン教会
姉妹都市
[編集]出身者
[編集]- マーガレット・オブ・アンジュー(イングランド王妃)
脚注
[編集]- ^ Populations légales 2008 de la commune : Pont-à-Mousson sur le site de l'Insee
- ^ Pierre Lallemand, Pont-à-Mousson : au coeur des rues, la mémoire d'une ville, 1994, p. 11
- ^ Cf. Musée au fil du papier
- ^ J. P. Pigasse, "Pont-à-Mousson va fusionner avec Saint-Gobain", Entreprise, 26 Juillet 1969, pp. 17-18.