ポポフ城
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ポポフ城 | |
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現地名 ウクライナ語: Садиба Попова | |
種類 | マナー・ハウス |
所在地 | ヴァシリウカ、ザポリージャ州 |
座標 | 北緯47度26分45秒 東経35度16分30秒 / 北緯47.44583度 東経35.27500度座標: 北緯47度26分45秒 東経35度16分30秒 / 北緯47.44583度 東経35.27500度 |
面積 | 2.87 ha (7.1エーカー) |
設立者 | ヴァシリー・ポポフ |
建設 | 1864年 - 1884年 |
当初の用途 | 邸宅 |
現用途 | 歴史博物館 |
建築家 | 不明 |
管理者 | ヴァシリウカ歴史・建築博物館保存地区 |
所有者 | ウクライナ政府 |
登録名: Vasylivka Historical and Architectural Museum-Reserve Popov Manor House | |
登録日 | 1993年1月29日 |
ヴァシリウカ歴史・建築博物館保存地区「ポポフ・マナー・ハウス」(ヴァシリウカ城として知られる)は、帝政ロシア軍司令官のヴァシリ・ステパノヴィッチ・ポポフの孫息子であるヴァシリー・ポポフによって、ウクライナのヴァシリウカ近くに1864年から1884年の間に建てられ、部分的に保存されたマナー・ハウスである。
ウクライナ歴史・文化保護区は、現存のヴァシリウカ郷土史博物館の代理として1993年1月29日に設置された[1]。
マナー・ハウス
[編集]この城におけるネオ・ゴシック建築の設計は、帝政ロシアの建築家であるニコラス・ブノアに帰属されている。母屋には望遠鏡、画廊、および民族誌博物館が設置されていた。この城はウラジミール・レーニンが率いた左派の一派であるボリシェビキに略奪され、第二次世界大戦においてはドイツ人によって破壊された。城の復旧工事は1990年代まで開始されなかった[要出典]。
地所への攻撃と略奪
[編集]2022年3月7日、ウクライナへの軍事侵攻の間にポポフ家のマナー・ハウスはロシア軍に爆破させられた。ポポフ家の地域安定型の建物は損害を受けた[2]。
2022年3月13日、博物館はロシア軍に略奪された。強盗に加えて、ロシア軍は構内、窓、および全ての出入口に損害を与えた[3][4]。
ギャラリー
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再構築モデル
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ウィング
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もう1つのウィング
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偵察塔
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ウクライナのヴァシリウカにあるポポフ城、若しくはマナー・ハウスの後方の壁
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ウクライナのヴァシリウカにあるポポフ城、若しくはマナー・ハウス内に展示されている北方艦隊の水兵隊員だったユーリー・モノゾフを追悼する展示品
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ Program of the historical site. Popov Manor House official website. 31 May 2012.
- ^ “У Запорізькій області російські окупанти обстріляли історико-архітектурний музей «Садиба Попова» у Василівці, – ФОТО | Перший Запорiзький”. 1news.zp.ua. 2022年7月28日閲覧。
- ^ “У Василівці російські мародери обікрали "Садибу Попова" | Перший Запорiзький”. 1news.zp.ua. 2022年7月28日閲覧。
- ^ “В Запорожской области российские оккупанты разграбили музей: один из трофеев - мраморный унитаз” (ロシア語). zabor.zp.ua. 2022年7月28日閲覧。