コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ポニー・ポインデクスター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポニー・ポインデクスター
Pony Poindexter
出生名 Norwood Poindexter
生誕 (1926-02-08) 1926年2月8日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 (1988-04-14) 1988年4月14日(62歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州オークランド
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 サクソフォーン
活動期間 1940年代 - 1980年代
レーベル エピックプレスティッジインナー・シティ

ポニー・ポインデクスターPony Poindexter1926年2月8日 - 1988年4月14日)は、アメリカジャズサクソフォーン奏者。

略歴

[編集]

ポインデクスターはクラリネットから楽器を始め、アルト・サックスとテナー・サックスに転向した。1940年、シドニー・デヴィーンに師事し、第二次世界大戦後、カリフォルニア州オークランドに新設されたキャンデル音楽院に通った。1947年から1950年までビリー・エクスタインと共演。1950年、ヴァーノン・アレイとのカルテットで演奏した。1951年から1952年までライオネル・ハンプトンと共演し、1952年にはスタン・ケントンと共演した。ニール・ヘフティは、ポインデクスターにちなんで名付けられた曲「リトル・ポニー」をカウント・ベイシー・オーケストラのために書いている[1]。1950年代の終わりまで、ポインデクスターはリーダーとしてもサイドマンとしても幅広く演奏し、チャーリー・パーカーナット・キング・コールT-ボーン・ウォーカージミー・ウィザースプーンとレコーディングを行った。1960年代初頭にはソプラノ・サックスも演奏するようになった[1]

1962年頃、エピック・レコードのセッションでエリック・ドルフィーデクスター・ゴードンとレコーディングを行った。1963年にパリに移り、アニー・ロスとレコーディング。彼は8年間、スペインに住んだ後、ドイツのマンハイムに移り、その後、アメリカに戻った[1]。彼は回顧録『The Pony Express. Memories of a Jazz Musician』を1985年に出版した。

ディスコグラフィ

[編集]

リーダー・アルバム

[編集]
  • 『ポニーズ・エクスプレス』 - Pony's Express (1962年、Epic)
  • Pony Poindexter Plays the Big Ones (1963年、New Jazz)
  • 『ガンボ!』 - Gumbo! (1963年、New Jazz) ※with ブッカー・アーヴィン
  • 『オール・ブルース』 - Annie Ross & Pony Poindexter (1966年、Saba) ※with アニー・ロス
  • 『アルト・サミット』 - Alto Summit (1968年、MPS) ※with リー・コニッツフィル・ウッズレオ・ライト
  • The Happy Life of Pony (1969年、Session)
  • Pony Poindexter En Barcelona (1972年、Spiral)
  • Poindexter (1976年、Inner City)

参加アルバム

[編集]

デクスター・ゴードン

  • Stella by Starlight (2005年、SteepleChase) ※1966年録音

ジョン・ヘンドリックス

  • 『ア・グッド・ギット・トゥゲザー』 - A Good Git-Together (1959年、Pacific)

ランバート、ヘンドリックス&ロス

  • 『ザ・ホッテスト・ニュー・グループ・イン・ジャズ』 - The Hottest Group in Jazz (1959年、Columbia)

ウェス・モンゴメリー

  • Far Wes (1990年、Pacific Jazz) ※1958年–1959年録音

脚注

[編集]
  1. ^ a b c Pony Poindexter | Biography & History | AllMusic”. AllMusic. 23 January 2017閲覧。

外部リンク

[編集]