ボー・ラーション
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ラーション(1965年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ボー=イェラン・ラーション Bo-Göran Larsson | |||||
愛称 | Bosse | |||||
ラテン文字 | Bo Larsson | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スウェーデン | |||||
生年月日 | 1944年5月5日 | |||||
出身地 | マルメ | |||||
没年月日 | 2023年12月19日(79歳没) | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1962-1966 | マルメ | 86 | (67) | |||
1966-1969 | シュトゥットガルト | 88 | (21) | |||
1969-1979 | マルメ | 222 | (52) | |||
1980 | トレッレボリ | |||||
代表歴2 | ||||||
1961-1962 | スウェーデン U-19 | 6 | (0) | |||
1963-1964 | スウェーデン U-21 | 3 | (1) | |||
1964-1978 | スウェーデン | 70 | (17) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月19日現在。 2. 2022年11月19日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ボー=イェラン・ラーション(スウェーデン語: Bo-Göran Larsson, 1944年5月5日 - 2023年12月19日)は、スウェーデンの元プロサッカー選手。スウェーデン代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。
ボッセ(Bosse)の愛称でも知られ、マルメやスウェーデン代表の中心選手として活躍した。
経歴
[編集]クラブ
[編集]キャリアのほとんどをマルメで過ごし、何度もリーグ優勝を果たした。1966年から1969年にかけてはブンデスリーガのVfBシュトゥットガルトでプレイし、88試合に出場し21ゴールを挙げ、西ドイツでもプロとして高い評価を得た。1969年にはシュトゥットガルトの街から「アスリート・オブ・ジ・イヤー」として表彰され、クラブ最高の選手としてサポーターからも愛された。しかし妻がドイツでの生活に馴染めなかったため、その年の夏に母国のマルメに復帰することとなり、プロ選手としてのキャリアはあまりに短かった。
1965年と1973年にはグルドボレン(スウェーデン年間最優秀選手)を受賞し、同賞初の複数回受賞者となった[1]。マルメやサポーターにとっては象徴的な存在であり、クラブ史上最高の選手であると考えられている。
代表
[編集]ラーションは、1970年代のスウェーデン代表の中心選手のひとりであった。1970年のメキシコ大会、1974年の西ドイツ大会、1978年のアルゼンチン大会と3大会連続でワールドカップに出場し、代表では通算70試合に出場、17得点を挙げている。当時代表監督を務めていたイェオリ・エリクソンはよく「まず、ボッセを選ぶ。それからどの選手を選ぶかを考える。そうやってスウェーデン代表チームを作るんだ」と述べていた[1]。ニルス・リードホルムと並び、ラーションはスウェーデンで最も完成された選手と評されている。ピッチ上のほとんどのポジションでプレイできたマルチロールであったこともその所以である[2]。
人物
[編集]現在は、生まれ故郷であるマルメで静かに暮らしている。2007年9月、「Bosse Larsson」という本が出版された。この本はヨニー・アンブリウスが本人と一緒に書いたもので、ラーションの人生のうち、現役時代に重きを置いた話が満載である。
2009年にマルメの新たなホームスタジアムであるスウェドバンク・スタディオンが完成した際には、敷地内に自身の銅像を設置することを許可し、こけら落としの試合では当時のキャプテンであったダニエル・アンデションとともにキックオフ・セレモニーを務めた。
個人成績
[編集]代表
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スウェーデン代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1964 | 2 | 2 |
1965 | 5 | 3 |
1966 | 3 | 1 |
1967 | 0 | 0 |
1968 | 3 | 2 |
1969 | 6 | 0 |
1970 | 11 | 0 |
1971 | 9 | 2 |
1972 | 8 | 4 |
1973 | 9 | 2 |
1974 | 10 | 1 |
1975 | 0 | 0 |
1976 | 0 | 0 |
1977 | 0 | 0 |
1978 | 4 | 0 |
通算 | 70 | 17 |
ゴール
[編集]# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
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1. | 1964年9月20日 | ウレヴォール・スタディオン( ノルウェー) | ノルウェー | △1-1 | 北欧サッカー選手権大会 |
2. | 1964年10月7日 | ロースンダ・スタディオン( スウェーデン) | ポーランド | △3-3 | 親善試合 |
3. | 1965年6月16日 | マルメ・スタディオン( スウェーデン) | イタリア | △2-2 | |
4. | 1965年11月7日 | Dr. Fazıl Küçük Stadium( キプロス) | キプロス | ○5-0 | 1966 FIFAワールドカップ・予選 |
5. | |||||
6. | 1966年5月18日 | Stadion Olimpijski( ポーランド) | ポーランド | △1-1 | 親善試合 |
7. | 1968年10月9日 | ロースンダ・スタディオン | ノルウェー | ○5-0 | 1970 FIFAワールドカップ・予選 |
8. | |||||
9. | 1971年5月20日 | Ryavallen( スウェーデン) | フィンランド | ○4-1 | 北欧サッカー選手権大会 |
10. | 1971年8月8日 | マルメ・スタディオン | ノルウェー | ○3-0 | |
11. | 1972年6月29日 | デンマーク | ○2-0 | ||
12. | 1972年9月17日 | ウレヴォール・スタディオン | ノルウェー | ○3-1 | |
13. | 1972年10月15日 | ウッレヴィ( スウェーデン) | マルタ | ○7-0 | 1974 FIFAワールドカップ・予選 |
14. | |||||
15. | 1973年11月11日 | Empire Stadium( マルタ) | ○2-1 | ||
16. | 1973年11月27日 | パルクシュタディオン( 西ドイツ) | オーストリア | ○2-1 | |
17. | 1974年9月4日 | ロースンダ・スタディオン | オランダ | ●1-5 | 親善試合 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- マルメFF
個人
[編集]- アルスヴェンスカン 得点王(1963、1965、1970)
- グルドボレン(1965、1973)
- en:Stora Grabbars och Tjejers Märke(1968)[5]
- スウェーデンサッカー殿堂(2005)[6]
脚注
[編集]- ^ a b “Zlatan är en unik spelare” (スウェーデン語). Sportbladet (11 November 2008). 28 January 2021閲覧。
- ^ Magnus Johansson (29 May 2009). “Bosse Larsson: "Jag har fått vara med om mycket"” (スウェーデン語). SvenskaFans. 30 March 2021閲覧。
- ^ “MFF-ikonen Bosse Larsson är död – blev 79 år gammal” (スウェーデン語). www.aftonbladet.se (2023年12月19日). 2023年12月19日閲覧。
- ^ “VfB Stuttgart trauert um Bo Larsson” (ドイツ語). kicker (2023年12月19日). 2023年12月20日閲覧。
- ^ “Stora Grabbars Märke - Svensk fotboll” (スウェーデン語). スウェーデンサッカー協会. 30 March 2021閲覧。
- ^ “Larsson, Bo” (スウェーデン語). スウェーデンサッカー協会. 2013年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。30 March 2021閲覧。
外部リンク
[編集]- ボー・ラーション - National-Football-Teams.com
- ボー・ラーション - FootballDatabase.eu
- ボー・ラーション - WorldFootball.net
- ボー・ラーション - Transfermarkt.comによる選手データ
- ボー・ラーション - FIFA主催大会成績
- ボー・ラーション - TheFinalBall.com
- ボー・ラーション - Fussballdaten.de