ボルス (タタル部)
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ボルス(Borsu、生没年不詳)は、モンゴル帝国に仕えたタタル部出身の将軍。『元史』などの漢文史料では孛児速(bóérsù)と記される。
概要
[編集]ボルスはタタル部の出身で、即位前のクビライ(後の第5代皇帝、大元ウルスの創始者)の宿営に仕えていた。クビライが雲南・大理遠征から帰還する最中、高阜に駐留していた時、河北からクビライ軍を船で襲おうとする者達が現れた。クビライが周囲の者に「この賊を如何にすべきか」と問いかけた所、ボルスは自らが備禦にでることを願い出た。ボルスは服を脱いで河中に入り、船尾の二人を殺して船を岸につけ、混乱する船中の者達を統べて捕虜としてしまった。雲南の完全平定後に開かれた論功行賞ではこの功績を賞賛された[1]。
ボルスの息子の答答呵児はボルスに従って軍功を積み、武徳将軍・掲只掲烈温千戸所ダルガチに任ぜられた。後にナヤン・カダアンの乱が勃発すると、コルゲン家のエブゲンを捕虜にする功績を挙げた。クルク・カアン(武宗カイシャン)の治世には懐遠大将軍・元帥とされたが、間もなく亡くなった[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『元史』巻135列伝22