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ボリス・ログヴォロドヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボリス・ログヴォロドヴィチ
Борис Рогволодович
ドルツク公
ボリス・ログヴォロドヴィチにムスチスラフ・ロマノヴィチの引き渡しを求めるオレグ・スヴャトスラヴィチ(ru)
在位 1180年代 - 1196年以前

出生 12世紀
家名 リューリク家
父親 ポロツク公ログヴォロド
母親 キエフ大公イジャスラフ2世の娘
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ボリス・ログヴォロドヴィチロシア語: Борис Рогволодович、12世紀後半)は、ポロツク公ログヴォロドの子である。1180年代から1196年以前までの期間、ドルツク公位にあった。

ニコライ・エルモロヴィチ(ru)の説では、ボリスはポロツクの政権と同盟を結び、1180年からドルツクを統治下に置いたとされる。

年代記の1196年の記述によれば、ボリスはチェルニゴフ公国軍、ヴァシリコ・ヴォロダレヴィチ(bex)と連合して、スモレンスク公国領であったヴィテプスクへの遠征(ru)に参加した。ボリスは戦闘において活躍し、スモレンスク軍を潰走させた(ルーシ内戦 (1195年 - 1196年))。

参考文献

[編集]
  • Н. Ермолович Древняя Беларусь: Полоцкий и Новогородский периоды ―1990.