ボリス・イワノビッチ・バリンスキー
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Бори́с Іва́нович Балі́нський ボリス・イワノビッチ・バリンスキー | |
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ボリス・イワノビッチ・バリンスキー | |
生誕 |
1905年9月23日 キーウ |
死没 | 1997年9月1日 (91歳没) |
プロジェクト:人物伝 |
ボリス・イワノビッチ・バリンスキー(宇: Бори́с Іва́нович Балі́нський、1905年9月23日 - 1997年9月1日)は、ウクライナおよび南アフリカの生物学者、発生学者、昆虫学者。キーウ大学とウィットウォータースランド大学の教授を務めた。
実験発生学、電子顕微鏡法、発生生物学の分野の先駆者であった。
生涯
[編集]キーウに生まれる。
イヴァン・シュマルガウゼンの門下生だった。28歳のとき、バリンスキーは大学の正教授であり、キエフ生物学研究所の副所長を務めていた。彼は魚類と両生類の発生の専門家として認められていた。第二次世界大戦中、彼の最初の妻である研究所研究員のキャサリン・シンガイフスカはソ連軍に投獄された。彼女は釈放されてすぐに死去した。
戦後、彼はソ連の弾圧を逃れ、まずポーランドのポズナンに、その後ドイツのミュンヘンに逃れた。最終的に、彼は南アフリカに渡り、南アフリカ実験生物科学の創始者の一人となった[1]。
バリンスキーは人気のある発生学の教本「発生学入門」を執筆した[2]。
バリンスキーは昆虫学の分野でも実績を残し、主にコーカサスとアフリカ南部に生息する、新種のカワゲラ目、トンボ目、およびメイガ上科の蛾を発見した。
彼の息子、ジョン・バリンスキーは動物学者だったが、父より先に死去した。
バリンスキーはヨハネスブルグで歿した。
脚註
[編集]出典
[編集]- ^ ES Grossman (2004). “Boris Ivan Balinsky” (英語). South African Journal of Science (101): 309–312.
- ^ Borys Ivanovych Balinsky (1970年). An introduction to embryology (英語). Philadelphia: Saunders. ISBN 0721615171。