ボリスの石
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ボリスの石(ベラルーシ語: Барысавы камяні、ロシア語: Борисовы камни)とは、ポロツク公ボリスの命令によって作られた、十字架と銘文の刻まれた巨礫である。これらの石はソヴィエト連邦時代の宗教闘争の時期に徹底的に破壊された[1]。現在は数個が残っている。
概要
[編集]ボリスの石には銘文と十字架が刻まれ、西ドヴィナ川流域におかれていた。石の大きさは数メートルにおよび、銘文は通常、「神の僕・ギンヴィルの子ボリス、主の援助を」という文を含んでいる[2]。その役割はあまり明確には解明されていない。一説では、交易路の進路を示したものであるとみなされている。また別の説では、早期の異教の神殿に置かれた神聖な石であったが、ルーシがキリスト教化した際に十字架や銘文が刻まれたとしている。
現在、ボリスの石は数個が現存している。そのうちの1つはベラルーシのドルヤ(ru)にあったものであるが、ソヴィエト時代に2つに割られ、2011年に西ドヴィナ川岸の中央広場に運ばれた[3]。ポラツクから5kmの位置にあるポドコステリツァ[注 1]で発見された周囲8mの石は、1981年にポラツクに運ばれ、聖ソフィア大聖堂の隣に設置されている。また、「スリボリの十字架」「スヴャトポルク - アレクサンドル」[注 2]と刻まれた2つの石が、西ドヴィナ川の水路にあることが知られている。ヴォルシャ付近には、いわゆる「ログヴォロドの石(ru)」と呼ばれる石があったが、19世紀末にモスクワへ運ばれ、現在はコローメンスコエの博物館に設置されている[4]。ミンスク州のカメノには「ボロチンシュンの十字架」と呼ばれる石がある[注 3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- 本頁の地名・固有名詞表記はベラルーシ語ではなく、ロシア語からの転写によるものがある。詳しくは以下の注釈を参照。また、注釈に記した以外の地名・固有名詞表記についても、現地の言語の音写よりも日本語表記として慣習的な表記を優先しているものがある。
出典
[編集]参考文献
[編集]- Рыбаков Б. А. Русские датированные надписи XI—XIV веков. — М., 1964
- Карский Е. Ф. Труды по белорусскому и другим славянским языкам. — М., 1962
- Дучыц Л. У. Барысавы камяні: (гістарыяграфічны агляд) // Весці АН БССР. Серыя грамадскіх навук. 1985, № 4
- Борисовы камни//Православная энциклопедия Том VI. — М.: Церковно-научный центр «Православная энциклопедия», 2003. — С. 64. — 752 с.