コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ボビー・アダムズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボビー・アダムズ
Bobby Adams
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州トゥオルミ
生年月日 1921年12月14日
没年月日 (1997-02-13) 1997年2月13日(75歳没)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
160 lb =約72.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手二塁手
プロ入り 1939年
初出場 1946年4月16日
最終出場 1959年4月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ボビー・アダムズRobert Henry "Bobby" Adams, 1921年12月14日 - 1997年2月13日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州トゥオルミ出身のプロ野球選手三塁手二塁手)。右投右打。

経歴

[編集]

シンシナティ・レッズ時代

[編集]

1939年シンシナティ・レッズへ入団[1]し、ルーキー+級のオグデン・レッズでプレイした[2]。当時はチームでも最年少の17歳だったが[3]、64試合に出場して打率.335と上々の数字を残した[2]。守備では専ら二塁を守り、失策を3個に留めた[2]。 翌1940年も同じくオグデンで二塁手としてプレイし、リーグ2位の打率.356を記録した[4]

1941年は、A級コロンビア・レッズの二塁手として、137試合に出場した[2]。打率.348はリーグ4位だったが、195本安打はリーグ1位の数字で、46二塁打もリーグ2位という出色の出来だった[5]

1942年、当時AA級だったシラキュース・チーフス(現在はAAA級)へと階級を上げ、115試合に出場したが、打率.259と苦戦した[2]。また、セカンドの守備でも36失策を記録し、守備率は自己最低の.937だった[2]

1943年から1945年の3年間は、軍隊に在籍していたため、マイナーリーグ及びMLBではプレイしていない[6]

1946年4月16日、本拠地クロスリー・フィールドで行われたシカゴ・カブスとの開幕戦で、9回裏に代打で出場し[7]、メジャーデビューを果たした[1]。その後は2番打者や3番打者として二塁のスタメンを任されるようになり[8]6月2日ブルックリン・ドジャース戦では6回裏にメジャー初本塁打を放った[9]。シーズンでは94試合に出場し、打率.244・4本塁打・24打点・16盗塁だった[1]

1947年は、4月の全試合に2番・セカンドで先発出場し、月間打率.305と好調なスタートを切った[10]。その後、6月・7月はスタメンを外れる機会が増え、2か月で僅か11試合出場・3安打に終わるなど低迷したが、8月以降は36試合で打率.330・2本塁打・11打点と復調し、シーズン最終盤には再びセカンドのスタメンを任されるようになった[10]。トータルでは81試合・打率.272・4本塁打・20打点という成績だった[1]

1948年、主に7番・セカンドで4月の12試合全てに先発出場し、うち11試合で安打を記録[11]。4月は打率.333・出塁率.423・OPS0.956と[11]、前年に続いて幸先の良いスタートとなった。その後、7月に26試合で月間打率.265[11]とやや失速したが大崩れはせず、年間での成績は87試合・打率.298・1本塁打・21打点だった[1]

1949年は、107試合・打率.253・0本塁打・25打点という成績で、MLBでは自身初めて本塁打なしに終わった[1]。シーズンの前半には代打としての出場も増えたため、先発出場は107試合中63試合だった[12]。また、セカンドだけでなく、14試合でサードの守備も務めた[1]

1950年、前年と比べて更に三塁を任される機会が増え、二塁を守った試合が53試合、三塁を守った試合が42試合となった[1]。打つ方では、後半戦に61試合で打率.330・2本塁打・18打点[13]と調子を上げ、年間では自己最多の115試合に出場して打率.282・3本塁打・25打点という成績だった[1]

1951年5月9日、ボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)戦の8回表に代打で出場し[14]、MLB通算500試合出場を達成[15]。シーズンでは二塁・三塁・代打などをこなして、前年の自己記録を上回る125試合に出場[1]。こちらも自己最多となる107安打を放った[1]

1952年、シーズンの全試合(154試合)に三塁のスタメンとして出場し[16]、リーグ3位[1]・チームトップ[17]となる180安打を放った[1]。9月に月間打率.196[16]と調子を落としたこともあって打率3割は達成出来なかったが、打点も前年から倍増させる[1]など、過去最高のシーズンとなった。

1953年は、5月の月間打率が.198、6月の月間打率が.368、そして9月の月間打率が.205とやや波のあるシーズンだったが、150試合でサードとして先発出場し[18]、打率.275・8本塁打・49打点[1]を記録してレギュラーの役割を全うした。本塁打と打点では自己記録を更新した[1]

1954年も専ら三塁を務めて110試合に出場し、打率.269・3本塁打・23打点だった[1]。また、8月28日ピッツバーグ・パイレーツ戦に出場したことで、MLB通算1,000試合出場を達成した[19]

1955年、レギュラーシーズン開幕当初は代打を任され、4月に出場した7試合は全て代打での出場だった[20]。当初は快音が聞かれず、5月終了時点では僅かに3本の安打しか記録していなかったが、5月末に三塁のスタメンに返り咲くと徐々に調子が上がり、前半戦終了時点での成績は50試合・打率.297・2本塁打・16打点だった[20]。その後、後半戦が始まって間もない7月26日シカゴ・ホワイトソックスへの移籍が決まり[1]、アダムズは長年所属したレッズを去ることとなった。

シカゴ・ホワイトソックス時代

[編集]

ホワイトックス加入直後は三塁のスタメンとしても起用されたが当たりが出ず、8月以降は先発出場の機会は2試合に留まった[20]。特に9月以降は代走などを中心に起用された[20]こともあり、移籍後は28試合に出場しながら2安打しか記録出来ず、打率も.095に終わった[1]

10月18日カル・エイブラムス外野手とのトレードで、ボルチモア・オリオールズへと移籍することになった[1]

ボルチモア・オリオールズ時代

[編集]

オリオールズに移籍して迎えた1956年のシーズンは、開幕戦で2番・サードとしてスタメンで起用されるなどシーズン当初は先発出場する機会が多々あり、1番・サードとして出場した5月20日クリーブランド・インディアンス戦では、3回表の第2打席でMLB通算1,000本安打を達成した[1][21][22]。しかし、その5月20日終了時点での打率が.202と打撃の調子は上向かず、以降は試合出場の機会も減少した[21]。結果、オリオールズでは41試合に出場して打率.225・0本塁打・7打点という成績で、7月17日に放出された[1]。 また、この年は1942年以来実に14年振りにマイナーリーグでもプレイし、AA級のサンアントニオ・ミッションズで46試合に出場[2]。ここでは二塁を守り、打っては打率.310・6本塁打・23打点と一定水準の成績を残した[2]

シカゴ・カブス時代

[編集]

1957年のシーズンを前にシカゴ・カブスに入団[1]。この年は後半戦にMLBで出番を掴み[23]、主に三塁を守って60試合に出場[1]。成績は、打率.251・1本塁打・10打点だった[1]

1958年、代打での起用が増え、出場した62試合中先発出場は12試合だった[24]。打撃では96打数27安打・打率.281と一定の結果を残し、守備でも三塁・二塁に加えて、11試合で一塁もこなした[1]

36歳で迎えた1959年のシーズンは、MLBでの試合出場は4月の3試合のみに終わり[25]5月12日にカブスを解雇された[1]

現役引退後

[編集]

5月にカブスを去ってからは、いずれもAAA級に分類される、レッズの傘下・シアトル・レーニアズと、オリオールズの傘下・マイアミ・マーリンズでプレイしたが、合計76試合の出場で打率.227・0本塁打・17打点に終わり、OPSも0.592に留まった[2]

結果、アダムズは1959年限りで現役を引退。現役引退後もカブスなどでコーチを務め、1973年まで野球に携わり続けた。

1997年2月13日ワシントン州ギグ・ハーバーにて、75歳で没した[1]

人物

[編集]

プロ入り当初は主に二塁手だったが、後に三塁を守る機会が増え、MLBのキャリア全体では三塁を652試合、二塁を399試合務めた[1]

いずれもMLBの選手としてプレイした、ディック・アダムズの弟であり、マイク・アダムズの父である[1]

レッズ在籍中の1954年5月13日に行われたフィラデルフィア・フィリーズ戦では、1番・サードで先発出場し、1回表、後に殿堂入りを果たす好投手・ロビン・ロバーツから、このシーズンの第1号となる[19]先頭打者本塁打を放ってレッズに先制点をもたらした[26]。ところがその後レッズ打線はロバーツに封じられ、終わってみればアダムズの本塁打以降は出塁すら出来ず[26]、初回に本塁打が出ていなければ完全試合達成、という事態になっていた。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1946 CIN 94 346 311 35 76 13 3 4 107 24 16 -- 14 -- 18 -- 3 32 7 .244 .292 .344 .636
1947 81 253 217 39 59 11 2 4 86 20 9 -- 7 -- 25 -- 4 23 2 .272 .358 .396 .754
1948 87 294 262 33 78 20 3 1 107 21 6 -- 7 -- 25 -- 1 23 5 .298 .361 .408 .770
1949 107 307 277 32 70 16 2 0 90 25 4 -- 5 -- 26 -- 0 36 6 .253 .317 .325 .642
1950 115 394 348 57 98 21 8 3 144 25 7 -- 3 -- 43 -- 0 29 2 .282 .361 .414 .774
1951 125 450 403 57 107 12 5 5 144 24 4 10 3 -- 43 -- 1 40 6 .266 .338 .357 .695
1952 154 694 637 85 180 25 4 6 231 48 11 9 8 -- 49 -- 0 67 15 .283 .334 .363 .696
1953 150 678 607 99 167 14 6 8 217 49 3 2 12 -- 58 -- 0 67 7 .275 .338 .357 .696
1954 110 454 390 69 105 25 6 3 151 23 2 5 4 2 55 -- 3 46 4 .269 .362 .387 .749
1955 64 174 150 23 41 11 2 2 62 20 2 0 2 1 20 1 3 21 3 .273 .368 .413 .781
CWS 28 25 21 8 2 0 1 0 4 3 0 0 0 0 4 0 0 4 0 .095 .240 .190 .430
'55計 92 199 171 31 43 11 3 2 66 23 2 0 2 1 24 1 3 25 3 .251 .352 .386 .738
1956 BAL 41 143 111 19 25 6 1 0 33 7 1 1 5 2 25 0 0 15 1 .225 .362 .297 .660
1957 CHC 60 211 187 21 47 10 2 1 64 10 0 3 5 0 17 0 2 28 2 .251 .320 .342 .663
1958 62 105 96 14 27 4 4 0 39 4 2 0 3 0 6 0 0 15 2 .281 .324 .406 .730
1959 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
MLB:14年 1281 4530 4019 591 1082 188 49 37 1479 303 67 *30 78 *5 414 *1 17 447 62 .269 .340 .368 .708
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

[編集]
  • 12 (1946年 - 1955年)
  • 25 (1955年)
  • 5 (1956年)
  • 7 (1957年)
  • 16 (1958年 - 1959年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad Bobby Adams”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i Bobby Adams (Minors)”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  3. ^ 1939 Ogden Reds”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  4. ^ 1940 Pioneer League Batting Leaders”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  5. ^ 1941 South Atlantic League Batting Leaders”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  6. ^ Bobby Adams”. BASEBALLLIBRARY.com. January 3, 2015閲覧。
  7. ^ CIN19460416”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  8. ^ Bobby Adams 1946 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  9. ^ CIN19460602”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  10. ^ a b Bobby Adams 1947 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  11. ^ a b c Bobby Adams 1948 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  12. ^ Bobby Adams 1949 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  13. ^ Bobby Adams 1950 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  14. ^ BSN19510509”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  15. ^ Bobby Adams 1951 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  16. ^ a b Bobby Adams 1952 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  17. ^ 1952 Cincinnati Reds”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  18. ^ Bobby Adams 1953 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  19. ^ a b Bobby Adams 1954 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  20. ^ a b c d Bobby Adams 1955 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  21. ^ a b Bobby Adams 1956 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  22. ^ CLE19560520”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  23. ^ Bobby Adams 1957 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  24. ^ Bobby Adams 1958 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  25. ^ Bobby Adams 1959 Batting Gamelogs”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。
  26. ^ a b PHI19540513”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 3, 2015閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]