ボッパルト
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紋章 | 地図 |
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基本情報 | |
連邦州: | ラインラント=プファルツ州 |
郡: | ライン=フンシュリュック郡 |
面積: | 75.13 km2 |
緯度経度: | 北緯 50度13分54秒 東経 07度35分28秒 |
標高: | 海抜 74 m |
人口: |
15,403人(2021年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 205 人/km² |
郵便番号: | 56154 |
市外局番: | 06741, 06742, 06745 |
ナンバープレート: | SIM |
自治体コード: | 07 1 40 501 |
市の構成: | 10 街区 |
市庁舎の住所: | Karmeliterstr. 2 56154 Boppard |
ウェブサイト: | www.boppard.de |
E-Mail: | stadt@boppard.de |
行政 | |
市長: | ヴァルター・ベルシュ (Dr. Walter Bersch) (SPD) |
ボッパルト(Boppard)市は、ドイツ西部のラインラント=プファルツ州に属する市。ボンから東南におよそ70kmのライン川沿岸に位置する。面積はおよそ75平方km。人口はおよそ1万6500人。ワインの産地としても有名。
歴史
[編集]ローマ帝国の時代、恐らく皇帝クラウディウス治下(紀元後41‐54年)、ローマ軍の城砦が築かれたと思われる[2]。ボッパルトの考古学公園(Der archäologische Park Boppards)においては、4世紀に遡る城砦の極めて保存状態の良い遺跡を見ることができる[3]。その地の「軍隊浴場に、軍隊の撤退後に、しかしまだローマ時代のうちに、聖堂区聖堂が建立された」[4]。メロヴィング王朝以後、王領地となり、11世紀ハインリヒ4世は市場開設地を置いた。ホーエンシュタウフェン家は強力な軍事拠点にした[5]。「ローマ時代の防備設備は存在し続けた。1200年と1250年の間の時期になって初めて、周壁の修復と都市の中心部の拡大とが必要になった」[4]。中世において市の統治機構である「市参事会は五人の貴族的騎士参事会員、十二人の市民的会員、そして都市書記で構成されていた」[6]。
日本とのかかわり
[編集]フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトがここで生活し「日本文書」を著した。また平成5年(1993年)には、明仁天皇、皇后美智子(いずれも当時)が訪れた。また、1965年(昭和40年)に、日本の東京都青梅市と姉妹都市提携を結ぶ。
姉妹都市
[編集]名所・旧跡
[編集]- 考古学公園(ローマ帝国時代の城壁が見られる)
- ボッパルト城
- カルメル教会
- 聖セヴェルス教会
出身者
[編集]- ミヒャエル・トーネット - トーネット社の創業者
- フランツ・ブレンターノ - 哲学者、心理学者
- ハインリヒ・フォン・シーボルト - オーストリアの外交官、考古学者
- フリッツ・シュトラスマン - 化学者、物理学者
引用
[編集]- ^ Statistisches Landesamt Rheinland-Pfalz – Bevölkerungsstand 2021, Kreise, Gemeinden, Verbandsgemeinden
- ^ Michael Imhof / Stephan Kemperdick: Der Rhein. Kunst und Kultur von der Quelle bis zur Mündung. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 2004 (ISBN 3-534-17215-9). S. 108.
- ^ de:Baedeker: Deutschland. Ostfildern: Karl Baedeker 8.Aufl. 2005 (ISBN 3-8297-1079-8), S. 910.
- ^ a b エーディト・エネン『ヨーロッパの中世都市』(佐々木克巳訳)岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X) 、38頁。
- ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. II. München/Zürich: Artemis 1983 (ISBN 3-7608-8902-6), Sp. 444 (Beitrag von R.Kaiser).
- ^ エーディト・エネン『ヨーロッパの中世都市』(佐々木克巳訳)岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X) 、165頁。
- ^ “独ボッパルトの木で収穫のブドウのワイン 青梅市で販売開始”. 産経ニュース (2022年1月25日). 2022年1月25日閲覧。