コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ホームズ男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ホームズ男爵(ホームズだんしゃく、英語: Baron Holmes)は、アイルランド貴族の爵位。18世紀に2度創設され、いずれも1代で廃絶している。

歴史

[編集]

ワイト島出身の政治家トマス・ホームズ(1699–1764)は1760年9月11日にアイルランド貴族であるリムリック県キルマーロックのホームズ男爵Baron Holmes, of Kilmallock in the County of Limerick)に叙された[1][2][3]。トマス・ホームズは2度結婚したが、1人目の妻との間に早世した息子を1人もうけただけであり、1764年7月21日に死去すると爵位が廃絶した[1][2]

トマス・ホームズの遺産を相続したのはその妹エリザベスとトマス・トローイヤー(Thomas Troughear)の息子にあたる聖職者レオナード・トローイヤー(c.1732–1804)だった[4]。レオナードは遺産相続にあたり、姓をホームズに改めた[4]。その数十年後の1797年10月25日、レオナードはトマス・ホームズと同じ爵位であるリムリック県キルマーロックのホームズ男爵Baron Holmes, of Kilmallock in the County of Limerick)に叙された[2][5]

レオナードも男子をもうけず、その死とともに爵位は廃絶した[2]。一方で娘は2人もうけており、うちエリザベスは第8代準男爵サー・ヘンリー・ウォーズリーと、キャサリンは政治家エドワード・ラッシュワース英語版と結婚して、それぞれ子女をもうけた[2][6]。ウォーズリーはのちに姓を「ウォーズリー=ホームズ」に改めた[2]。彼の準男爵位は息子の代を最後に廃絶したが、息子の娘エリザベスは第2代ヘイツベリー男爵ウィリアム・エイコート英語版と結婚、以降ホームズ家の領地はヘイツベリー男爵家が継承した[2]

ホームズ男爵(1760年)

[編集]

ホームズ男爵(1797年)

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b Watson, Paula (1970). "HOLMES, Thomas (1699-1764), of Yarmouth, I.o.W.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年2月17日閲覧
  2. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas, eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint) (英語). Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 548.
  3. ^ "No. 10029". The London Gazette (英語). 23 August 1760. p. 1.
  4. ^ a b Namier, Sir Lewis (1964). "HOLMES, Thomas (1699-1764), of Yarmouth I.o.W.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年2月17日閲覧
  5. ^ "No. 14064". The London Gazette (英語). 11 November 1797. p. 1081.
  6. ^ Thorne, R. G. (1986). "RUSHWORTH, Edward (1755-1817), of Freshwater House and Faringford Hill, I.o.W.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年2月17日閲覧