ホワイト・スター・ライン
本社所在地 |
イギリス リヴァプール アルビオン・ハウス |
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設立 | 1845年 |
業種 | 海運業 |
事業内容 | 旅客航路 |
主要株主 |
国際海運商事 (1902-1926) 王立郵船 (1926-1934) |
特記事項:1934年吸収合併されキュナード・ホワイト・スター・ラインに |
ホワイト・スター・ライン社(White Star Line)は、1845年に創業したイギリスの海運企業。タイタニックなどを所有していたことでも知られている。
歴史
[編集]創業
[編集]ホワイト・スター・ラインは1845年、ジョン・ピルキントンとヘンリー・ウィルソンがリヴァプールに設立した。当初は帆船を用いた貨物輸送に従事していた。
1867年に破産し、1868年造船王トーマス・ヘンリー・イズメイに買収され、1869年、汽船会社「オーシャニック・スチーム・ナビゲーション・カンパニー」[注釈 1]に再編成されたのを契機に大手船舶会社へと成長した。
オーシャン・ライナーといわれる数々の客船を運航させ、同じイギリスの海運企業であるキュナード・ラインと19世紀後半から20世紀初頭にかけ激しい競争を繰り広げた。1899年、トーマスの死去に伴い、息子であるブルース・イズメイがその後を引き継いだ。1902年には、J・P・モーガンによって、国際海運商事(IMM)の子会社となっている。
3大姉妹船
[編集]そして1907年、ハーランド・アンド・ウルフの会長ビリー卿はホワイト・スター・ラインの社長ブルース・イズメイに、3隻の巨大客船の計画を持ちかけた。これは当時、就航して間もないキュナード・ラインの豪華高速客船ルシタニアとその姉妹船モーリタニアに対抗するためであった。こうして建造されたのが、オリンピック、タイタニック、ブリタニックである(3隻をまとめて、オリンピッククラスと呼んでいた)。
キュナードへの吸収合併
[編集]しかし、タイタニックは処女航海中に氷山との衝突で沈没、ブリタニックも第一次世界大戦中に機雷に触れ沈没、オリンピックは事故が多発していた。経営は次第に悪化していき、 1926年、船舶の競争に関心をなくしたIMMはホワイト・スター・ラインを王立郵船(ロイヤルメール)に売却。王立郵船の社長キルサント卿が、ホワイト・スター・ライン・リミテッドという別会社を設立した。1934年、ホワイト・スター・ラインはキュナード・ラインに吸収合併され、社名が「キュナード・ホワイト・スター・ライン」に変更された。吸収合併の翌年には、オリンピックが引退している。
消滅
[編集]その後、同社はクイーン・メリー、クイーン・エリザベスなどを就航させるが、1945年にホワイト・スター・ライン・リミテッドが解散、同時にキュナード・ホワイト・スター・ラインはキュナード・ラインに社名を戻したため、ホワイト・スター・ラインは事実上消滅した。
保有していた主な船舶
[編集]- オーシャニック(1870年)
- アトランティック(1871年)
- バルチック(1871年)
- リパブリック (1871年)
- アドリアティック(1872年)
- セルティック (1872年)
- ブリタニック(1874年)
- ゲルマニック(1875年)
- テュートニック(1889年)
- マジェスティック(1890年)
- アラビック(1903年)
- アドリアティック(1907年)
- オリンピック(1911年)
- タイタニック(1912年)
- ブリタニック(1915年)
- マジェスティック(1922年)
- ブリタニック(1930年)
なお、ホワイト・スター・ラインの船は命名規則として、末尾「ic」で終わる船名とすることを伝統としていた。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1847年にアメリカ合衆国・ニューヨークで設立されたオーシャン・スチーム・ナビゲーション・カンパニー(Ocean Steam Navigation Company. 略称OSNC、別名ブレーメンライン)とは無関係。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『タイタニックは沈められた』(ロビン・ガーディナー、ダン・ヴァンダー・ヴァット)