ホバート準男爵
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ホバート準男爵(英語: Hobart baronets)は、イギリスの準男爵位[註釈 1]。過去に2度創設されており、第1期はイングランド準男爵位、第2期は連合王国準男爵位としての叙爵であり、後者が現存する。
イントウッドのホバート準男爵(1611年)
[編集]→詳細は「バッキンガムシャー伯爵」を参照
(ノーフォーク州イントウッドの)準男爵(Baronet, of Intwood in the County of Norfolk)は、民事訴訟裁判所長官を務めたサー・ヘンリー・ホバート(1560?-1625)が1611年にイングランド準男爵位として叙されたことに始まる[1]。
2代準男爵ジョン(1593–1647)と3代準男爵ジョン(1628–1683)はともに、ノーフォーク選挙区選出の長期議会議員及び第一・第二議会議員を務めている[2][3]。
4代準男爵ヘンリー(1657–1698)はホイッグ党の政治家であったほか、ボイン川の戦いではウィリアム3世の元で奮戦している[4]。
その後、5代準男爵ジョン(1695-1756)が1746年にバッキンガムシャー伯爵に叙されて以降、準男爵位は伯爵位の従属爵位となっている[5]。
- 初代準男爵サー・ヘンリー・ホバート (1560?-1625)
- 第2代準男爵サー・ジョン・ホバート (1593–1647)
- 第3代準男爵サー・ジョン・ホバート (1628–1683)
- 第4代準男爵サー・ヘンリー・ホバート (1657–1698)
- 第5代準男爵サー・ジョン・ホバート(1695–1756) (1746年にバッキンガムシャー伯爵位叙爵)
- 以降の歴代当主は、バッキンガムシャー伯爵を参照。
ラングダウンのホバート準男爵(1914年)
[編集](サウサンプトン州ラングダウンの)準男爵(Baronet, of Langdown in the County of Southampton)は、サー・ロバート・ヘンリー・ホバート(1836-1928)が1914年に連合王国準男爵として叙位されたことを発端とする[6]。
初代準男爵は第3代バッキンガムシャー伯爵ジョージ・ホバートの子孫にあたるため、本準男爵家の歴代当主は、バッキンガムシャー伯爵位及び(イントウッドの)準男爵位の潜在的な継承権者である[7]。
- 初代準男爵サー・ロバート・ヘンリー・ホバート (1836-1928)
- 第2代準男爵サー・クロード・ヴィア・キャベンディッシュ・ホバート(1870–1949)
- 第3代準男爵サー・ロバート・ハムデン・ホバート (1915 – 1988)
- 第4代準男爵サー・ジョン・ヴィア・ホバート(1945-)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 準男爵位は爵位と異なり、準男爵という肩書だけ与えられる(「○○準男爵」といった形では与えられない)。他の準男爵位と区別する必要がある場合にのみ姓名を付けたり、由来する地名を付けたりして区別する。
出典
[編集]- ^ Cokayne, George E. (George Edward) (1900). Complete baronetage. Cornell University Library. Exeter : W. Pollard & co., ltd.
- ^ “HOBART, Sir John II (1593-1647), of Blickling and Chapel Field, Norwich, Norf.”. History of Parliament Online. 20 April 2013閲覧。
- ^ History of Parliament Online – John Hobart
- ^ Collins, Arthur (1812). Sir Egerton Brydges (ed.). Collin's Peerage of England. vol. IV. London: T. Bensley. pp. 367–369.
- ^ “Buckinghamshire, Earl of (GB, 1746)”. Cracroft's Peerage. 2019年12月4日閲覧。
- ^ “No.28854”. The Gazette 31 July 1914. 2019年12月4日閲覧。
- ^ “Buckinghamshire, Earl of (GB, 1746)”. Cracroft's Peerage. 2019年12月4日閲覧。
イングランドの準男爵 | ||
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先代 ハウタン準男爵 |
ホバート準男爵 1611年5月22日 |
次代 ブース準男爵 |