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ホバート・シナゴーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホバート・シナゴーグ
Hobart Synagogue
ホバート・シナゴーグ
基本情報
所在地 タスマニア州ホバート、アーガイル通り(Argyle Street)59番地
座標 南緯42度52分47秒 東経147度19分41秒 / 南緯42.879628度 東経147.327939度 / -42.879628; 147.327939座標: 南緯42度52分47秒 東経147度19分41秒 / 南緯42.879628度 東経147.327939度 / -42.879628; 147.327939
宗教 ユダヤ教
礼拝 正統派、及び改革派
オーストラリアの旗 オーストラリア
奉献年 1845年 (1845)
教会的現況 シナゴーグ
現況 運営中
所有者 ホバート・ヘブライ・ユダヤ信徒団
(Hobart Hebrew Congregation)
ウェブサイト www.hobartsynagogue.org
建設
建築家 ジェームズ・トムソン
(James Thomson)
形式 シナゴーグ
様式 エジプト復活様式
en:Egyptian Revival
創設者
  • ルイス・ナサン(Louis Nathan)
  • サミュエル・モーセズ(Samuel Moses)[1]
完成 1845年 (179年前) (1845)
定義されていません
登録番号 2,150
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ホバート・シナゴーグ英語:Hobart Synagogue)は、オーストラリアタスマニア州ホバートアーガイル通り59番地にあるシナゴーグである。同州の遺産に登録されており、シナゴーグとしてはオーストラリアで最も古く、エジプト復活様式Egyptian Revival)による珍しいシナゴーグ建築の一例である。[2]1845年に建設され、[3][4]台形の窓や蓮の花冠を持つ柱に、エジプト復活様式の特徴を残している。[5][6]現在では、正統派改革派の両宗派の定期的な礼拝が行われている。[7]

シナゴーグの建つ土地は、もとは受刑者であったというユダ・ソロモン(Judah Solomon)の庭の一部だった。[8]収容人数は150人で、シナゴーグの裏側には、当時武装した状態で行進をしていたユダヤ人の罪人・受刑者のための硬いベンチが設置されている。[9]同シナゴーグは、タスマニア州の遺産登録制度(Tasmanian Heritage Register)によりに登録されている。

歴史

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シナゴーグの建設が提起されたのは、1830年代にホバートでのユダヤ人社会が形成され始めた頃であり、ホバート・ヘブリュー・コングレゲーション・シナゴーグ(Hobart Hebrew Congregation Synagogue、ホバートのヘブライ人によるユダヤ教徒信徒団のシナゴーグの意)の名前で、1845年7月4日に献堂された。[10]建物は、ホバートの建築家で1829年恩赦を受けたスコットランド出身の元囚人ジェームズ・トムソン(James Thomson)によって設計された。[11]

19世紀初頭、エジプト復活様式のシナゴーグや教会がいくつか建てられたが、現存するものとして知られるものは、極僅かで、ナッシュビルダウンタウン長老派教会Downtown Presbyterian Church, Nashville)、ニューヨーク第一長老派教会First Presbyterian Church)、イギリスカンタベリーの古シナゴーグ(Old Synagogue at Canterbury)、ローンセストン・シナゴーグLaunceston Synagogue)などのみである。

現在の機能

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シナゴーグはホバートのユダヤ文化の中心地となっており、同市の共同体が有する唯一の建造物である。現在、正統派と進歩派の礼拝を行っており、全ユダヤ人はこの共同体に歓迎される。

1970年代初頭に国勢調査でホバートのユダヤ人が100人を下回って最少となったが、その後2001年には180人となり、回復している。[12]2016年の国勢調査(Census in Australia#2016)では、タスマニアのユダヤ人は248人と記録されている。[13]

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ Wright, Virginia (n.d.). “THE SAMUEL MOSES FAMILY IN VAN DIEMEN’S LAND”. deutscher and hackett. 2 April 2019閲覧。
  2. ^ Meek, H. A. (1995). “The Synagogue”. Phaidon: 175, 183–4. https://archive.org/details/synagogue0000meek. 
  3. ^ Franklin (5 July 2005). “Hobart’s historic shul”. Australian Jewish News. 1 August 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月11日閲覧。
  4. ^ Cox (30 March 2008). “Redeeming values of Hobart's Synagogue”. ABC Tasmania. 2008年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。11 May 2008閲覧。
  5. ^ Muir Appelbaum, Diana (2012). “Jewish Identity and Egyptian Revival Architecture”. Journal of Jewish Identities 5 (2): 7. 
  6. ^ Wischnitzer, Rachel (December 1954). “Thomas U. Walter's Crown Street Synagogue, 1848-49”. The Journal of the Society of Architectural Historians 13 (4): 29–31. doi:10.2307/987638. 
  7. ^ Elias, Peter (2006年). “Jewish faith”. The Companion to Tasmanian History. Centre for Tasmanian Historial Studies, University of Tasmania. 2 April 2019閲覧。
  8. ^ Dunlevie, James (7 May 2020). “Banished to Van Diemen's Land, two convicts named Solomon shaped Hobart's Jewish history”. ABC News (Australia) (Australian Broadcasting Corporation). https://www.abc.net.au/news/2020-05-07/ikey-and-judah-solomon-key-figures-in-jewish-history-of-hobart/11949796 4 August 2021閲覧。 
  9. ^ Hobart - high on the list Down Under
  10. ^ Order of service at the dedication of the synagogue, Argyle Street, Hobart Town, Van Diemen's Land, on Friday, the 4th July, A.M., 5605-1845”. Hobart Hebrew Congregation (1845年). 2 April 2019閲覧。
  11. ^ JUDAH SOLOMON AND THE BUILDING OF THE HOBART SYNAGOGUE”. Tasmanian Geographic (4 April 2012). 11 September 2014閲覧。
  12. ^ Tasmania”. www.jewishvirtuallibrary.org. 9 January 2019閲覧。
  13. ^ 2016 Census Community Profiles: Tasmania”. Australian Bureau of Statistics. 9 January 2019閲覧。

参考文献

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  • Elias, P & A Elias, ed (2003). A few from afar. Hobart 

関連項目

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外部リンク

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