ホテルパーク
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ホテルパーク | |
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長良川の対岸からみたホテルパーク | |
ホテル概要 | |
正式名称 | ホテルパーク |
前身 | 港館 |
階数 | 地下1階 - 地上6階 |
部屋数 | 77室 |
最寄駅 | JR岐阜駅 |
最寄IC | E41 東海北陸道 岐阜各務原IC |
所在地 |
〒500-8009 岐阜県岐阜市湊町397-2 |
位置 | 北緯35度26分16.7秒 東経136度46分33.1秒 / 北緯35.437972度 東経136.775861度座標: 北緯35度26分16.7秒 東経136度46分33.1秒 / 北緯35.437972度 東経136.775861度 |
公式サイト | ホテルパーク 公式サイト |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒500-8009 岐阜県岐阜市湊町397-2 |
設立 | 1963年3月 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 3200001004737 |
事業内容 | 旅館業 |
代表者 | 代表取締役社長 山岡利安[1] |
資本金 | 7,560万円 |
売上高 | 10億0928万1000円(2017年2月)[2] |
従業員数 | 65名 |
決算期 | 2月 |
株式会社ホテルパーク(Hotel Park)は、岐阜県岐阜市湊町に本社を置き、同名のホテルを営業するホテル運営会社。
概要
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沿革
[編集]1894年(明治27年)に名古屋に旅館「明治館」を開業したのが事業の始まりで、1905年(明治38年)に「明治館」を焼失廃業。1916年(大正5年)「八層閣」を開業し料理屋の事業を始めた。その後、名古屋に「山岡旅館」の名称で復活するが、間もなく戦争となり岐阜のみで事業を行うようになる[1]。
1917年(大正6年)に開業した旅館「港館」がホテルパークの前身である[3]。この時代に初恋の女性伊藤初代を追って岐阜を訪れた川端康成が女性と再会した場所が「港館」で、川端の小説にも登場する[4]。
仏壇を備えた施設として「光明殿」(1973年設置)と「良光殿」(2000年設置)の2つを持ち、法要のほか仏前結婚式にも対応する[5]。また、展望大浴場のほか、2006年3月には女性専用の岩盤浴を新設した[6]。
施設
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温泉
[編集]- 「山の湯」展望大浴場は6階に、露天風呂は屋上にある。
- 「川の湯」展望大浴場と露天風呂は6階にある。
交通アクセス
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脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b “山岡 利安 - 人と経営” (PDF). 岐阜県経営者協会 (2012年9月). 2018年1月22日閲覧。
- ^ 『平成29年版 東商信用録(中部版)』東京商工リサーチ名古屋支社、2017年、1845ページ。ISBN 978-4-86591-255-5。
- ^ 福沢和義 (2013年11月6日). “大正の味「牛鍋」を限定発売 岐阜のホテルパーク”. 中日新聞. オリジナルの2013年11月9日時点におけるアーカイブ。 2022年2月7日閲覧。
- ^ 八木さゆり (2014年10月24日). “川端康成ゆかりの地数々 悲恋の足跡たどる”. 読売新聞. オリジナルの2018年1月22日時点におけるアーカイブ。 2022年2月7日閲覧。
- ^ 「全宗派対応の仏壇増設 ホテルパークが法要部門強化『岐阜新聞』2000年(平成12年)12月17日付朝刊8面。
- ^ 「土曜トーク ホテルパーク社長 山岡 利安氏(43) 岩盤浴、新たな強み」『岐阜新聞』2006年(平成18年)11月25日付朝刊9面。