ホタ (音楽)
ホタ(スペイン語: Jota)はスペインの各地で演奏されている音楽のひとつのジャンルで、アラゴン州から発生したといわれている。舞台で演奏される時には、ダンサーはカスタネットを持って踊り、飛び上がる動作に特徴がある。[1]
ホタは普通4分の3拍子で、8分の6拍子の方が歌詞に遭っているという人たちもいる。拍子はワルツとそう違わないが、様々なバリエーションがある。歌詞は8シラブルの4行詩が多い。
スペイン民衆の伝承的な歌との踊りには、他にフラメンコがあり、2017年にはカルロス・サウラ監督による映画『J:ビヨンド・フラメンコ』(J: Beyond Flamenco)でホタがフラメンコを超えて広く世界に紹介された[2]。 。
語源
[編集]起源は不明であるが、中世の言葉「シオタ」(xiota)はアラビア語でリズミカルにジャンプする意味の"xotah"やモサラベ語のジャンプする意味のシャウタ(šáwta)、またはラテン語のダンスを意味する「サルターレ」(saltāre)に由来するものと見られている。これがスペイン語での発音の変遷により、ホタ(jota)といわれるようになった。
アラゴンのホタ
[編集]スペイン東北部のアラゴンのホタは、その地方の伝承をよく表しているといえる。18世紀にはじまり、19世紀にはピークに達した。ダンスのステップと歌唱が複雑となる中で、ホタが生まれた。19世紀の終わりには、入念に振り付けをしたホタがサルスエラ、映画、コンテスト、お祭りなどのために行われた。
現在でも、伝承グループにより、ホタが行われている。歌と踊りを途中で留めて、ひとりがユーモアを交えながら人生の教訓の詩を大声で朗唱して、そのあと歌と踊りが続くカランダ(Foz-Calanda)、アルカニス、アンドラ(Andorra)、アラバラテ(Albalate)、州都のサラゴサで見ることができる。
カスティーリャのホタ
[編集]スペイン中央部のカスティーリャのホタでは、ギターにバンドゥリア、リュート、ドゥルザイナ(Dulzaina)、ドラムを混ぜて伴奏され、またカスタネットが使われることもある。ダンスのステップはより早くで、急である。歌の内容はより現実的で、ユーモアを交えながら、人生、愛、結婚(新婚さんへのアドバイスも多い)、宗教について語る。
フィリピンのホタ
[編集]フィリピンがスペインの植民地でたった時代に、ホタは盛んに行われていた。
カリフォルニアのホタ
[編集]米国カリフォルニアでもスペイン系カリフォルニア人(Californio)により行われた。
ホタの作曲者
[編集]有名な作曲者も、ホタの曲を作っている。
- フランツ・リストはピアノ曲『スペインの歌による演奏会用大幻想曲』(1845年)や『スペイン狂詩曲』(1858年)の後半でホタ・アラゴネーサの主題を使用している。
- ミハイル・グリンカはスペインを訪れて、管弦楽曲『ホタ・アラゴネーサによる華麗なる奇想曲』(スペイン序曲第1番、1845年)を作った。
- ルイス・モロー・ゴットシャルクはピアノ曲『ホタ・アラゴネーサ』(スペイン奇想曲、1851年)作品14を作った。
- カミーユ・サン=サーンスはバイオリンとオーケストラのための『序奏とロンド・カプリチオーソ』(1863年)だけでなく、オーケストラ用のホタも作曲した。
- ジョルジュ・ビゼーは歌劇『カルメン』(1875年初演)第4幕でホタを使っている。
- イサーク・アルベニスはピアノのためのホタを作曲した。
- マヌエル・デ・ファリャはバレエ曲『三角帽子』にホタを入れている。
- フランシスコ・タレガはクラシカル・ギター用にグラン・ホタ(Gran Jota)を作曲した。
参照項目
[編集]脚注
[編集]外部リンク
[編集]- Francisco Tárrega - Gran Jota - YouTube, played by ペペ・ロメロ