ホセ・ガジェゴス・イ・アルノサ
ホセ・ガジェゴス・イ・アルノサ José Gallegos y Arnosa | |
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生誕 |
1857年5月3日 スペイン、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ |
死没 |
1917年9月20日 イタリア、アンツィオ |
運動・動向 | オリエンタリズム |
ホセ・ガジェゴス・イ・アルノサ(José Gallegos y Arnosa、1857年5月3日 - 1917年9月20日)はスペインの画家、彫刻家である。「オリエンタリズム」の絵画や、聖職者の日常などを描いた[1]。
略歴
[編集]アンダルシア州カディス県のヘレス・デ・ラ・フロンテーラで生まれた。父親はぶどう酒の会社で働いていた。同郷の友人、サルバドール・サンチェス・バルブード(Salvador Sánchez Barbudo: 1857-1917)と、美術に強い興味を持ち、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラの画家、Luis Sevil (1817-1893)のアトリエを2人でしばしば訪ねた。1873年に父親の会社のオーナーがパトロンになって、マドリードに送られ、王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学し、フェデリコ・デ・マドラーソに学んだ。オリエンタリズムの絵画に興味を持ち、チュニジアやモロッコを旅し、1878年に発表した絵画「アラブの婚礼」は政府に買い上げられた [2]。
さらにパトロンの支援を受けてイタリアに留学し、1879年にはサンチェス・バルブードとモロッコのタンジェを訪れた。1880年までにローマを拠点に活動するようになり、ミュンヘン、ロンドン、パリ、ベルリンも訪れた。1887年にイタリア人女性と結婚したが、1897年に妻が亡くなり、1900年に23歳年下のイギリス人で牧師の娘と再婚した。オランダの画商やロンドンの画商を通じてガジェゴス・イ・アルノサの絵はよく売れた。
彫刻家、建築家としては、故郷のヘレス・デ・ラ・フロンテーラのサンチャゴ教会(Iglesia de Santiago)の装飾のための彫像を制作した[3]。
毎年夏はローマ県の港町、アンツィオ近くのネットゥーノの別荘で過ごしていたが、イノシシを狩りで事故に合い、ケガの治療中にアンツィオで脳卒中で亡くなった。
作品
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アラブの瞑想
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少年聖歌隊
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ピカドール (1889)
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噂話 (1893)
参考文献
[編集]- ^ Biography @ JerezSiempre
- ^ "Gallegos, pintor y escultor jerezano" In: Diario de Jerez, 2018
- ^ Wolf Stadler u. a.: Lexikon der Kunst 5. Gal – Herr. Karl Müller Verlag, Erlangen 1994, ISBN 3-86070-452-4, S. 7.