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ホセ・アブエバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホセ・ベロソ・アブエバ
2013年4月1日オノフレ・コルプス英語版に対するユーロジーを述べるアブエバ。
フィリピン大学第16代学長
任期
1987年 – 1993年
大統領コラソン・アキノ
前任者エドガルド・アンガラ英語版
後任者エミール・Q・ハビエル英語版
フィリピン大学ディリマン校第3代学長
(フィリピン大学学長と併任)
任期
1990年 – 1991年
大統領コラソン・アキノ
前任者エルネスト・タバハラ英語版
後任者アメルリンダ・ロマン英語版
個人情報
生誕Jose Veloso Abueva
1928年5月25日
フィリピン諸島ボホール州タグビララン
死没2021年8月18日(2021-08-18)(93歳没)
フィリピンの旗 フィリピンリサール州アンティポロ
配偶者Socorro Encarnacion Abueva
子供4
Teodoro Abueva
Purificacion Veloso
出身校ミシガン大学
フィリピン大学
職業大学経営者、教授、政治学者
専業学者

ホセ・ベロソ・アブエバ(José Veloso Abueva、1928年5月25日 - 2021年8月18日)は、フィリピン政治学者、公立大学経営者で、フィリピン大学の第16代学長英語版を務めた。1962年政治学分野における卓越した青年10人 (Ten Outstanding Young Men, TOYM) のひとりに選ばれた彼は、その経歴の大部分を学界で過ごした。彼は、フィリピン大学ディリマン校国家行政ガバナンス学部英語版の教員のほか、ニューヨーク市立大学ブルックリン校イェール大学の客員教授を務めた。また、東京国連大学でも働いた。アブエバの国家への奉仕としては、1971年に開かれた制憲会議英語版 (the 1971 Constitutional Convention) における書記役や、立法=行政にかかる地方政府改革委員会 (the Legislative-Executive Local Government Reform Commission) における執行役員 (executive director)、旧軍用基地の転用計画を立てた立法=行政評議会 (the Legislative-Executive Council) の座長などがあった。アブエバは、『Focus in the Barrio: The Foundation of the Philippine Community Development Program』、『Ang Filipino sa Siglo 21』をはじめ、多数の著作を出した。編書には、20巻からなる『PAMANA: The UP Anthology of Filipino Socio-Political Thought since 1872』などがある。

アブエバは、フィリピン大学ディリマン校の政治学および行政学名誉教授であった[1]。彼はまた、自由フィリピンのための市民運動 (the Citizens Movement for a Free Philippines) の顧問委員会の座長も務めていた[2]。彼は、大統領グロリア・マカパガル・アロヨの指名によって、フィリピンの憲法顧問委員会 (the consultative constitutional commission) の座長となった。彼は、フィリピンにおける連邦主義議会主義の強力な擁護者でもあった[3]

彼は、分析家たちを集め、フィリピンにおける世論調査機関としてパルス・アジア英語版を組織した[4]

アブエバは、カラヤーン・カレッジ英語版の創設者でもあり、学長も務めた。

アブエバは、10年に及んだ国連大学での勤務のうち8年間は東京に滞在しており、知日派としても知られた[5]

経歴

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アブエバは、1928年5月25日に、ボホール州タグビラランで、元州議会議員だった父テオドロ・ローレン・アブエバ (Teodoro Lloren Abueva) と、ボホール女性クラブ (Bohol's Women's Club) の代表者で、女性参政権運動を率いていた母プリフィカシオン・ネーナ・ベロソ (Purificacion (Nena) Veloso) の間に生まれた。

日本占領時期のフィリピンにおいて、16歳の少年だった彼は、日本側に捕えられ、行方不明となった両親を探したが、ふたりは結局、死亡していることが判明した[6]日本軍によって殺されていたのである[5][7]

アブエバには、テオドロ(愛称テディ、Teodoro (Teddy), Jr.、故人(2004年時点、以下同様))[8]、プリフィカシオン(ネニー、Purificacion (Neny)、故人、タグビラランの検事ラモン・ビナミラ (Atty. Ramon Binamira、故人)の嫁ぐ)、ナポレオン(ビリー、Napoleon (Billy)、彫刻家国家芸術家)、アメリア(インダイ、Amelia (Inday) Martinez、シカゴ在住)、テレシタ(チン、Teresita (Ching) Floro、シドニー在住)、アントニオ(トニー、Antonio (Tony)、造園家と、合わせて6人のきょうだいがいた[9]

1987年から1993年にかけて、アブエバはフィリピン大学の学長を務めた。彼は、1987年に社会的学費支援制度 (Socialized Tuition Fee Assistance Program, STFAP) を導入した。アブエバはまた、大学内におけるフィリピン語使用の方針を確立した。

彼は、フィリピン大学で政治学と行政学の教授を務めながら、カラヤーン・カレッジの学長でもあった[1]

アブエバは、スリガオ州英語版マニラ出身のマ・ソコロ・"コリン"・エンコルナシオン・アブエア(Ma Socorro (Coring) Encarnacion Abueva、故人)と結婚していた。ふたりの間の子には、ラネレ (Lanelle)、ホベルト (Jobert)、ロサンナ (Rosanna)、ホナス (Jonas) がいた。

アブエバは、2021年8月18日リサール州アンティポロで死去した[10]

フィリピンの統治への重要な貢献

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2007年9月4日フィリピン大統領府英語版に置かれた教育に関する大統領タスクフォース (the Presidential Task Force on Education) の座長に、ビエンべニド・ネブレス英語版が指名された。ネブレスとともにメンバーとなった4名は、アンへレス大学ファウンデーション英語版の学長エマヌエル・アンヘレス (Emmanuel Angeles)、フィリピン商工会議所英語版の会頭ドナルド・ディ (Donald Dy)、アジア経営大学院英語版の教授ビクトル・リムリンガン (Victor Limlingan) と、フィリピン大学元学長のホセ・アブエバであった。この5人に、教育大臣英語版イエスリ・ラパス英語版や、ロムロ・ネリ英語版、アウグスト・シユコ (Augusto Syjuco) が加わってタスクフォークが組まれた。大統領グロリア・マカパガル・アロヨは、8月24日に行政命令第635号 (Executive Order 635) に署名し、教育制度全体を評価、計画、監視する大統領タスクフォースを設置した[11]

引用される言葉

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  • 「(2007年の投票結果を無効にすべきという提案には)様々な理由がある。これはそのひとつに過ぎない。(There were many reasons (for the proposal to scrap the 2007 polls). That is just one of them.)」- 人気についての言及。
  • 「我々の選挙制度は、その時点(2007年)に、改革されていなかったかもしれない。それが、この選挙の信頼性に疑問を引き起こしている。(Our electoral system may not be reformed at that time (2007). This would raise questions on the credibility of the elections.)」
  • 「私は、彼(Ramos)の意見を尊重するが、委員会の勧告を支持する。彼は自分の意見を述べる権利があるが、我々は現実的な提案に注目すべきだ。(I respect his (Ramos) opinion but I am standing with the commission's recommendation. He is entitled to his opinions but we should look at the substantive proposals.)」[12]
  • 「歴史を通して、数多くの戦争指導者たちがいたが、平和指導者というのはほとんどいない。私はこれを変える手助けをする決意だ。(Throughout history, there have been many leaders of war, but there have been few leaders of peace. I am determined to help change this.)」[13]

創価学会との関係

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アブエバは、1990年の来日時に、創価学会池田大作会長と会見して以降、交流を深め、1991年に池田がフィリピンを訪問し、フィリピン大学ディリマン校を訪問した際には、池田に名誉法学博士号を授与した[7]。アブエバと池田は、同年(1928年)生まれであった[5]

2015年には、アブエバと池田の対談集『マリンロードの曙-共生の世紀を見つめて』が第三文明社から刊行された[5]

2021年創価大学が開学50周年を迎えた際には、祝賀メッセージを送った[14]

脚注

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  1. ^ a b Kalayaan College
  2. ^ Jose V. Abueva Consolidating our fragile democracy ABS-CBN News December 13, 2006.
  3. ^ Jose V. Abueva Some Advantages of Federalism and Parliamentary Government for the Philippines Archived 2006-05-29 at the Wayback Machine. Philippine Center for Investigative Journalism. Retrieved 13 December 2006.
  4. ^ Pulse Asia Team of Analysts Retrieved 18 December 2006.
  5. ^ a b c d アブエバ博士と池田大作先生の対談集『マリンロードの曙-共生の世紀を見つめて』創価学会、2015年9月29日。2024年11月24日閲覧
  6. ^ Refusing to Hate: Jose Abueva - Former President of the University of the Philippines”. SGI Quarterly. 2004年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月24日閲覧。
  7. ^ a b 池田大作戦生の足跡 フィリピン大学 名誉法学博士創価学会。2024年11月24日閲覧
  8. ^ TEODORO ABUEVA Obituary (2013) - New York, NY - New York Times”. Legacy.com. 2024年11月24日閲覧。
  9. ^ Napoleon Veloso-Abueva the first and only Boholano National Artist - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
  10. ^ Jose Abueva, former UP president, dies
  11. ^ Inquirer.net, Ateneo president tapped to head education task force Archived 2007-10-14 at the Wayback Machine.
  12. ^ Jose Abueva quotes en.thinkexist.com Retrieved 13 December 2006.
  13. ^ Subingsubing, Krixia (19 August 2021). “Leader of peace: Jose Abueva, former UP president, dies at 93”. Inquirer.net (Philippines). https://newsinfo.inquirer.net/1475671/former-up-president-jose-abueva-93 19 August 2021閲覧。 
  14. ^ フィリピン大学元総長 カラヤン大学創立者・元総長 ホセ・V・アブエバ氏創価大学、2021年5月14日。2024年11月24日閲覧

関連文献

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外部リンク

[編集]
先代
エドガルド・アンガラ
フィリピン大学学長
1987年 – 1993年
次代
エミール・Q・ハビエ