ホセイン・カーゼンプール・アルダビーリー
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ホセイン・カーゼンプール・アルダビーリー حسین کاظمپور اردبیلی Hossein Kazempour Ardabili | |
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イラン・イスラム共和国商務大臣 | |
任期 1980年 – 1981年 | |
大統領 | アボルハサン・バニーサドル |
前任者 | レザー・サドル |
後任者 | ハビーボッラー・アスガルオウラーディー |
個人情報 | |
生誕 | 1952年 イラン、テヘラン |
死没 | 2020年5月16日(68歳没) イラン、テヘラン |
出身校 |
ホセイン・カーゼンプール・アルダビーリー[1](ペルシア語: حسین کاظمپور اردبیلی、英語: Hossein Kazempour Ardabili、1952年 - 2020年5月16日)は、イランの政治家。同国商務大臣、石油輸出国機構(OPEC)代表などを歴任した。
来歴
[編集]1980年、モハンマド・アリー・ラジャーイー内閣で数カ月ではあったが商務大臣を務めた。1981年にはイスラーム共和党本部に対する爆弾テロ事件に巻き込まれ、スイスにて治療を行っている[2]。
1990年から1995年にかけては駐日イラン大使を務めたが[3]、この際にイランに違法な武器輸出を行った疑惑が持たれている。この疑惑は2000年に明るみに出たが、外交官特権により起訴されることはなかった[2]。
1995年から2008年までイランの石油輸出国機構(OPEC)代表を務め、2013年に石油大臣ビージャン・ナームダール・ザンゲネの命によりOPEC代表に返り咲いた[4][5]。2020年5月16日、脳出血のため現職のまま68歳で死去[2]。
脚注
[編集]- ^ カーゼムプール・アルデビーリー(カーゼムプールアルデビーリー)とも。イラン公式メディアによる使用例: イランOPEC代表、「サウジの増産はOPECへの嘲笑に等しい」 - Pars Today、OPECイラン代表、「トランプ大統領がツイートをやめなければ、原油価格はさらに上昇する」 - Pars Today
- ^ a b c “OPEC’s Ultimate Fighter: Iran’s Man Battled Bombs and Sanctions”. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2020年5月17日) 2020年5月18日閲覧。
- ^ The National Iranian Oil Company in Iranian Politics | The James A. Baker III Institute for Public Policy, Rice University - 2007年3月
- ^ “حسين كاظم پور اردبيلي نماينده ايران در هيئت عامل اوپك شد”. イラン石油省. (16 January 2015) April 8, 2017閲覧。
- ^ “با حکم وزیر نفت، حسین کاظم پور اردبیلی نماینده جدید ایران در هیات عامل اوپک شد.”. メフル通信. (16 January 2015) April 8, 2017閲覧。
公職 | ||
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先代 セイイェド・モハンマドアリー・ハティービー |
イラン・イスラム共和国石油輸出国機構(OPEC)代表 2012 - 2020 |
次代 アミールホセイン・ザマーニーニヤー |
先代 レザー・サドル |
イラン・イスラム共和国商務大臣 1980 - 1981 |
次代 ハビーボッラー・アスガルオウラーディー |