ペンコ
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ペンコ Penco | |||
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位置 | |||
州内におけるペンコの位置 | |||
座標 : 南緯36度44分0秒 西経72度59分0秒 / 南緯36.73333度 西経72.98333度 | |||
歴史 | |||
創設 | 1550年2月12日 | ||
行政 | |||
国 | チリ | ||
州 | ビオビオ州 | ||
県 | コンセプシオン県 | ||
市 | ペンコ | ||
地理 | |||
面積 | |||
市域 | 107.6 km2 | ||
標高 | 115 m | ||
人口 | |||
人口 | (2002年現在) | ||
市域 | 46,016人 | ||
その他 | |||
等時帯 | CLT (UTC-4) | ||
夏時間 | CLST (UTC-3) | ||
市外局番 | 56 + 41 | ||
公式ウェブサイト : http://www.penco.cl/ |
ペンコ(Penco)はチリ中部ビオビオ州コンセプシオン県にある都市である。コンセプシオン湾に面している。
1550年2月12日にペドロ・デ・バルディビアによって"コンセプシオン・デル・ヌエヴォ・エクストレモ (Concepción del Nuevo Extremo)" の名前で創設された。チリ国内では1541年に創設されたサンティアゴ、1544年に創設されたラ・セレナに続き、3番目に古い歴史を持つ都市である。
前世紀、現在のペンコの場所には、現在のビオビオ州の州都名であるコンセプシオンという街が建設された。1554年にラウタロにより破壊され、再建されるものの、1555年に再びラウタロに破壊された。1557年、ガルシア・ウルタード・デ・メンドーサ (en:García Hurtado de Mendoza) の治世では、彼はこの地に上陸し、アルト・デ・ピント (Alto de Pinto) に砦を築き、街が再建された。1558年1月6日にキャプテンJerónimo de Villegasによって、街は再建された。その後200年以上もの間、街はアラウカニア地方のマプチェ族に対するための軍事拠点となり、1564年にマプチェ族による包囲に遭ったが、人口が10000人に達するまで街は成長した。
1570、1657、1687、1730年と度重なる地震と津波により、街は壊滅した。1751年5月25日、街をビオビオ川沿いの現在の場所 "Valle de la Mocha" に移動することを決定した。同時に旧市街の占拠を禁じ、現在のペンコの街が創設された1842年3月29日まで旧市街に人が住むことは無かった。