ペドロ・ピレス
ペドロ・ヴェロナ・ロドリゲス・ピレス Pedro Verona Rodrigues Pires | |
任期 | 2001年3月22日 – 2011年9月8日 |
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首相 | ジョゼ・マリア・ヌヴェス |
任期 | 1975年7月8日 – 1991年4月4日 |
出生 | 1934年4月29日(90歳) ポルトガル領カーボベルデ(現 カーボベルデ)、フォゴ島[1] |
政党 | カーボベルデ独立アフリカ党(PAICV)[2] |
配偶者 | アデルシア・バッレト・ピレス |
ペドロ・ヴェロナ・ロドリゲス・ピレス(ポルトガル語: Pedro Verona Rodrigues Pires、1934年4月29日 - )は、カーボベルデの政治家。同国南部のフォゴ島出身。2001年より2011年まで、カーボベルデ共和国第3代大統領を務めた。
初代首相
[編集]1975年にカーボベルデが独立すると、初代大統領アリスティデス・ペレイラのもとで初代首相を務めた。当時のカーボベルデはギニア・カーボベルデ独立アフリカ党 (PAIGC) による一党制が敷かれており、1980年にPAIGCカーボベルデ支部がカーボベルデ独立アフリカ党 (PAICV) として分離した後も、一党制は続いた。そのため長らく、ペレイラ大統領/ピレス首相体制が同国を支配することになる。
一党制への不満の高まりを受け、1990年2月にPAICVは複数政党制の導入を決定。同年8月にはPAICV総書記の座がペレイラからピレスに移った。しかし翌1991年の国民議会総選挙でPAICVが敗れたため、ピレスは首相職から退いた。
野党指導者として
[編集]1993年8月、PAICV総書記の座がピレスからアリスティデス・ライムンド・リマに移り、ピレスは党首に相当するPAICV議長に就任した。1997年9月には、後に第4代首相となるジョゼ・マリア・ヌヴェスと議長選を戦い、勝利している。
2001年に予定された大統領選挙に出馬するため、2000年にピレスはPAICV議長を辞任。後任議長にはヌヴェスが就任した。
第3代大統領
[編集]2001年の大統領選挙は、2月11日の第1回投票で過半数を制する候補がおらず、PAICVのピレスと民主運動 (MpD) のカルロス・ヴェイガが決選投票を戦うこととなった。
決選投票は2月25日に実施され、12票差(75827票vs75815票)[3]という大接戦の末、ピレスが当選。同年3月22日、ピレスはカーボベルデ共和国第3代大統領に就任した。先だって行われた国民議会総選挙でPAICVが勝利していたため、既にヌヴェスが第4代首相に就任しており、ピレスの勝利によって再びPAICVが大統領・行政府を掌握することとなった。
2006年2月12日の大統領選挙では再びMpDのヴェイガとの戦いとなったが、第1回投票でピレスが過半数を制し[3]、再選を決めている。
2008年5月、以前から唱えられてきた「アフリカ合衆国」構想に対し、ピレスは慎重な姿勢を示した。同時期に日本の横浜市で開かれた第4回アフリカ開発会議 (TICAD IV) への出席という形で訪日した経験がある[4]。
2011年9月、大統領を退任。2011年、モ・イブラヒム賞を受賞。
参考サイト・注釈
[編集]- ^ 共同通信社『世界年鑑2009』、世界人名録より。
- ^ 1980年まではギニア・カーボベルデ独立アフリカ党 (PAIGC) のカーボベルデ支部所属。
- ^ a b Elections in Cape Verde African Elections Database(英語)。2009年11月10日閲覧。
- ^ "Presidente cabo-verdiano prudente sobre Estados Unidos de África" Panapress 2008年5月28日(ポルトガル語)。2009年11月10日閲覧。
公職 | ||
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先代 アントニオ・マスカレニャス・モンテイロ |
カーボベルデ共和国大統領 第3代:2001年 - 2011年 |
次代 ジョルジェ・カルロス・フォンセカ |
先代 (創設) |
カーボベルデ共和国首相 初代:1975年 - 1991年 |
次代 カルロス・ヴェイガ |
受賞や功績 | ||
先代 フェスタス・モハエ |
モ・イブラヒム賞 2011年 |
次代 ヒフィケプニェ・ポハンバ |