ペドラ・ブランカ島
外交紛争のある島 | |
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南シナ海にペドラ・ブランカ島の概略位置 | |
地理 | |
所在地 | 南シナ海 |
座標 | 北緯1度19分49秒 東経104度24分21秒 / 北緯1.330368度 東経104.405883度座標: 北緯1度19分49秒 東経104度24分21秒 / 北緯1.330368度 東経104.405883度 |
実効支配 | |
シンガポール | |
領有権主張 | |
マレーシア |
ペドラ・ブランカ島(シンガポール名:Pedra Branca、マレーシア名:Batu Puteh、中国語名:白礁)は、マレー半島南部ジョホールの7.7カイリ沖、南シナ海から半島東岸に沿ってシンガポール海峡に入る位置にある花崗岩性の無人島である[注釈 1]。面積は8560平方メートルであり、サッカー場の半分ほどと小さいが、その位置から戦略的に重要な意味を持ち、シンガポールとマレーシア間の領土問題になった。2008年にシンガポールの領土であることが確定した[1]。
領土問題
[編集]ペドラ・ブランカ島は元々ジョホール王国(現マレーシア)の領土だった。1850年代にイギリスは島を占有している時、島にホースバー灯台を建て、シンガポールに島を管理させた。1965年マレーシアからシンガポールが分離独立して以来、島の領有権は定められていなかった[2]。
論争の発端は、1980年、マレーシアが新しい地図にペドラ・ブランカ島を自国領土として記載し、これに対しシンガポールが異議を提出したことによる。以後、両国間で数年にわたり協議が行われてきたが、両国間では領土問題が解決できず、国際連合の最高司法機関である国際司法裁判所(ICJ)に判断を委ねることになった。
国際裁決
[編集]2008年に国際司法裁判所は12対4で、1980年までにペドラ・ブランカ島の領有権はシンガポールに移転されたから、島の実効支配者であるシンガポールの領有権を認めた判決を下し、28年間にわたった論争を終わらせた。一方で、島の沖1キロメートルに位置する岩礁ミドル・ロックスは、マレーシア領有である判決を下した。
この裁判の結果を最終的に左右したのは、1953年9月、イギリス植民地政府に対し、ジョホール王国の国務長官代理が「島の所有を主張しない」と伝えた書簡の存在(シンガポール側が証拠書類として提出)であった[3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ペドラ・ブランカは、ポルトガル語で「白い岩」を意味している。
出典
[編集]- ^ 「マレー半島の小島、領有権はシンガポールに28年間の論争に終止符」
- ^ 「ペドラブランカ島ICJ判決は、韓国の領有権の根拠とならず」
- ^ The Asahi Shimbun GLOBE, 2013-03-17