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ペイキ・シェヴケト (水雷巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペイキ・シェヴケト
基本情報
建造所 Germaniawerft
運用者  オスマン帝国海軍
級名 ペイキ・シェヴケト級水雷巡洋艦
艦歴
発注 Germaniawerft
起工 1906年2月
進水 1906年11月15日
就役 1907年11月13日
除籍 1944年
除籍後 1953–1954年に解体
要目
排水量 775 t (763ロングトン; 854ショートトン)
長さ 80 m (260 ft)
8.4 m (28 ft)
吃水 2.5 m (8 ft 2 in)
主機 三段膨張機関、2軸
速力 21 kn (39 km/h; 24 mph)
航続距離 3,240 nmi (6,000 km; 3,730 mi)
乗員 105
兵装
  • 105 mm (4.1 in)砲 2基
  • 57 mm (2.2 in)砲 6基
  • 37 mm (1.5 in)砲 2基
  • 450 mm (18 in)魚雷発射管 3基
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ペイキ・シェヴケト (Peyk-i Şevket) はオスマン帝国海軍の艦艇。ペイキ・シェヴケト級水雷巡洋艦の一隻。

艦歴

[編集]

「ペイキ・シェヴケト」は1903年1月18日に発注され、ドイツ、キールのGermaniawerftの造船所で1906年2月に起工。同年11月15日に進水し、1907年に竣工した。海上公試完了後オスマン帝国海軍に引き渡され、11月13日にコンスタンティノープルに到着して就役した。[1]1908年から1911年までラウフ・オルバイが艦長を務めた[2]

1911年9月に伊土戦争が勃発したとき「ペイキ・シェヴケト」は紅海にあり、10月2日にフダイダ沖でイタリア水雷巡洋艦「Aretusa」および砲艦「Volturno」と遭遇した。イタリア艦2隻は「ペイキ・シェヴケト」を港内へ逃げ込ませ、ドックを砲撃して撤収した。[3]その後、「ペイキ・シェヴケト」はイギリス支配下のスエズで戦争中抑留された[2]

第一次バルカン戦争中の1913年3月、「ペイキ・シェヴケト」はブルガリア郡の攻撃を受けていたÇatalca守備隊支援のため黒海へ派遣された。「ペイキ・シェヴケト」も含むオスマン帝国艦隊による激しい艦砲射撃の後、3月30日にブルガリア軍は撤退した。[4]

1914年8月3日、「ペイキ・シェヴケト」はコンスタンティノープルへと向かった。そこで長期間の整備に入る予定であったが、ヨーロッパでの第一次世界大戦勃発による地域の緊張増加のため塗装のみが行われ、また弾薬や燃料などが搭載された。[5]11月20日、「ペイキ・シェヴケト」と巡洋戦艦「ヤウズ・スルタン・セリム」はボスポラス海峡沖を哨戒。12月、「ペイキ・シェヴケト」は巡洋艦「ミディッリ」、「ベルキ・サトヴェト」とともにリゼへ向かう兵員輸送船4隻を護衛した。[6]1915年6月22日、「ペイキ・シェヴケト」はチャナッカレへの弾薬輸送中にマルマラ海でイギリス潜水艦「E12」に雷撃されかけた。8月6日、「ペイキ・シェヴケト」はイギリス潜水艦「E11」に雷撃され大損害を受けた。[7]

1917年に復帰し[1]、1918年7月にはコンスタンティノープル・コーカサス間で兵員輸送船の護衛を行った[8]。1918年10月30日「ペイキ・シェヴケト」は退役し、コンスタンティノープルで係留された[1]。11月30日にオスマン帝国はムドロス休戦協定に署名し、戦闘は終結した[9]

トルコ革命後の1923年に「Peyk」と改名された[10]。また、その時点でトルコで現役であった数少ない艦艇の一隻であった[11]。1925年から1927年にかけてGölcük工廠で近代化改装が行われ、1927年に再就役した[1]。1936年から1938年の改装では多くの改良がなされた。舳先は取り替えられ、上構は作り変えられた。古い兵装は45口径88mm砲2基と40口径37mm砲4基に換装された。1944年に除籍[10]イズミットで係留され、1953年から1954年にかけて解体された[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e Langensiepen & Güleryüz, p. 149
  2. ^ a b Langensiepen & Güleryüz, p. 25
  3. ^ Stephenson, p. 62
  4. ^ Erickson, pp. 288–289
  5. ^ Langensiepen & Güleryüz, p. 28
  6. ^ Langensiepen & Güleryüz, p. 46
  7. ^ Langensiepen & Güleryüz, pp. 38–39
  8. ^ Langensiepen & Güleryüz, pp. 54, 89
  9. ^ Langensiepen & Güleryüz, p. 54
  10. ^ a b Gardiner & Gray, p. 392
  11. ^ Langensiepen & Güleryüz, p. 59

参考文献

[編集]
  • Erickson, Edward J. (2003). Defeat in Detail: the Ottoman Army in the Balkans, 1912–1913. Greenwood Publishing Group. ISBN 9780275978884 
  • Gardiner, Robert; Gray, Randal, eds (1984). Conway's All the World's Fighting Ships: 1906–1921. Annapolis, MD: Naval Institute Press. ISBN 0-85177-245-5 
  • Langensiepen, Bernd & Güleryüz, Ahmet (1995). The Ottoman Steam Navy 1828–1923. London: Conway Maritime Press. ISBN 978-0-85177-610-1 
  • Stephenson, Charles (2014). A Box of Sand: The Italo-Ottoman War 1911-1912. Ticehurst: Tattered Flag Press. ISBN 9780957689220