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ベン・レイフェル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベン・レイフェル
Benjamin Reifel
Lone Feather
生年月日 (1906-09-19) 1906年9月19日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
サウスダコタ州の旗 サウスダコタ州ローズバッドインディアン居留地
没年月日 1990年1月2日(1990-01-02)(83歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
サウスダコタ州の旗 サウスダコタ州スーフォールズ
出身校 サウスダコタ州立大学BS, 1932)
ハーバード大学MPA,1949; 博士号, 1952)
所属政党 共和党
配偶者 アリス・ジャネット・ジョンソン(1933年-1972年)
フランシス・コルビー(1972年-)
子女 2人[注釈 1]

選挙区 サウスダコタ州の旗 サウスダコタ州第1選挙区
当選回数 5回
在任期間 1961年1月3日 - 1971年1月3日
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ベンジャミン・レイフェルライフェル[1][2]英語: Benjamin Reifel [ˈraifəl][3], 1906年9月19日 - 1990年1月2日)は、アメリカ合衆国政治家。愛称のベン・レイフェルとしても知られる。所属政党は共和党アメリカ合衆国下院議員(5期)。

ラコタ族ドイツ系アメリカ人ミックスで、ラコタ系としては初の連邦議会議員である[4]。また、1960年代においては連邦議会唯一のアメリカ先住民系議員であった。ハーバード大学で博士号を初めて取得したアメリカ先住民系の人物でもある。

経歴・人物

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1906年9月19日にレイフェルはサウスダコタ州トッド郡パーマリー英語版近郊のローズバッドインディアン居留地に生まれた[5]。ドイツ系アメリカ人の父親ウィリアム・レイフェルと純血のラコタ族の母親ルーシー・バーニング・ブリーストの間に生まれたため、厳密にはミックスであるが、スー族として登録されている[6]。インディアンとしての名前は「Wiyaka Wanjila (Lone Feather)」であった[6]。インディアン居留地内の学校に進学し、2年遅れの16歳で中間学校を卒業。この時にはラコタ語と英語のバイリンガルだった[6]。両親からは高校の入学を反対されていたため[7]、3年間両親の農場で働いたのち、家を出て高校へ入学することを決意[6]。実家から250マイルも離れたブルッキングズの農業高校に入学した[6][7]。その後、サウスダコタ州立大学農学部に進学。在学中は学生協会の会長に選出されるなど、学生問題に積極的に関わっていた[8]1932年に化学と酪農学の学位を取得して卒業[8][9]。翌年のボクシング・デーに大学時代の同級生アリス・ジャネット・ジョンソンと結婚。二人の間には娘が一人生まれている[6]。1933年からインディアン事務局に入局し、オグラララコタの農業職員としてパインリッジインディアン居留地で働き始めた[6][10]

大学在学中の1931年に予備役としてアメリカ陸軍に入隊していたが、1941年太平洋戦争が勃発すると、翌年に現役召集命令を受け、1946年7月まで軍務につくことになる。ヨーロッパ戦線でドイツやフランスでの戦闘に参加し、中佐にまで昇進した[5][6][10]。退役後はインディアン事務局に復帰し、ノースダコタ州フォート・バートホールドインディアン居留地に配属された[6]。ジョン・ヘイ・ホイットニー財団の奨学金を利用してハーバード大学で行政学の修士号と博士号を取得[11]。同大でアメリカ先住民が博士号を取得したのはレイフェルが初めてのことだった[9]。大学卒業後、インディアン事務局に復帰し、1954年にパインリッジ・インディアン居留地の管理者となった[8]

1960年、レイフェルはインディアン事務局を退職し、サウスダコタ州第1選挙区から連邦下院議員に立候補し、民主党のレイ・フィッツジェラルドに2万2,000票以上の差をつけて当選した[12]。これは、サウスダコタ州初のアメリカ先住民系連邦議会議員であり、全米初のラコタ族系連邦議会議員だった。その後、5期連続当選を果たし引退。下院議員時代には、地球資源観測システムセンターのサウスダコタ州への誘致に尽力したほか[5]、予算委員会として関わった高校新設事業はアメリカ先住民の高等教育へのアクセシビリティを高めた[13]

議員を引退した後、アメリカインディアン国立銀行の会長を務め[13]、フォード大統領によってインディアン事務局長(Commissioner)に任命された[注釈 2][7][11]。1977年、ブルッキングズにあるサウスダコタ美術館の理事に就任し、のちに理事長も務めている[8][14]。レイフェルはアメリカ先住民の芸術の収集に力を入れ、自身が持つアメリカ先住民の芸術作品の大半を寄贈した。その中には先住民アートの第一人者オスカー・ハウ英語版の作品も含まれている[14]。1990年、スーフォールズの病院でがんのために亡くなった[5]

栄典・受賞歴

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  • 優れたアメリカンインディアン賞(1956年)[13]
  • Indian Achievement Award (1960年) [13]

エポニム

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  • ベン・レイフェルビジターセンター:バッドランズ国立公園に設置されたビジターセンター。サウスダコタ州政府は1990年にコロンブス・デーを廃止して「先住民の日」を設けるなど、アメリカ先住民寄りの政策を行った(いわゆる「和解の年(Year of Reconciliation)」)。この政策の一環として、ダコタ族の血を引くレイフェルに因んだ名前がつけられた[4]
  • ベン・レイフェルホール:サウスダコタ州立大学の学生寮。約250人が住んでいる[8]
  • ベン・レイフェル中学校:サウスダコタ州スーフォールズの中等教育機関。2022年に開校予定[9][15]
  • ベン・レイフェル郵便局:サウスダコタ州ローズバッドにあるアメリカ郵政公社のビル。2020年12月に改名[16][17]

脚注

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注釈

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  1. ^ うち一人は義理の娘である。
  2. ^ インディアン事務局は1978年に再編され、事務局の最高責任者の肩書は「インディアン局次官補(Assistant Secretary-Indian Affairs)」となったため、レイフェルは最後の局長(Commissioner)であった。

出典

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  1. ^ 内田綾子「スー族と連邦管理終結政策 : 1960年代前半のサウスダコタ州管轄権法」『立教アメリカン・スタディーズ』第30巻、2008年、117-133頁、doi:10.14992/00000119ISSN 13464825 
  2. ^ 伊藤聰「アメリカ・インディアン-白人関係歴史年表 : インディアン教育を中心として」『経営研究』第13巻第1号、愛知学泉大学、1999年9月、67-84頁、NAID 110006609347 
  3. ^ Landscape of South Dakota: Ben Reifel South Dakota Public Broadcasting 2017/04/25
  4. ^ a b Ben Reifel (U.S. National Park Service)” (英語). www.nps.gov. 2021年5月19日閲覧。
  5. ^ a b c d “Ben Reifel, 83, Dies; Former Congressman” (英語). The New York Times. (1990年1月4日). ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1990/01/04/obituaries/ben-reifel-83-dies-former-congressman.html 2021年5月19日閲覧。 
  6. ^ a b c d e f g h i Jerry D. Stubben (2006). Native Americans and Political Participation. ABC-CLIO. pp. 172-175. ISBN 9781576072622. https://books.google.co.jp/books?id=mcvTv1MEJGQC&pg=PA172&lpg=PA172&dq=Ben+Reifel+native&source=bl&ots=-e78uPIjO2&sig=ACfU3U0lc052Vzuwwqenn8C3IYwnBbVelA&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwini-rxotXwAhWtyosBHRR1Bv0Q6AEwEnoECAkQAw#v=onepage&q=Ben%20Reifel%20native&f=false 
  7. ^ a b c Notable Native Americans: Ben Reifel - American Indian Education Foundation”. www.nativepartnership.org. 2021年5月19日閲覧。
  8. ^ a b c d e f Ben Reifel Hall” (英語). South Dakota State University. 2021年5月19日閲覧。
  9. ^ a b c "New Northwest High School and the Southwest Middle School Naming Committee Report EXECUTIVE SUMMARY" (PDF) (Press release). 28 January 2019.
  10. ^ a b Ben Reifel: Early Career” (英語). South Dakota State University. 2021年5月20日閲覧。
  11. ^ a b Ben Reifel Named-Commissioner of Indian Affairs | Indian Affairs”. www.bia.gov. 2021年5月29日閲覧。
  12. ^ Selma Sandness『Official Election Returns by Counties for the State of South Dakota; general election November 8, 1960』Secretary of State、1960年https://sdsos.gov/elections-voting/assets/historicalelectiondata/1960general0001.pdf 
  13. ^ a b c d e f g Ben Reifel - SD Hall of Fame Programs”. sdexcellence.org. 2021年5月19日閲覧。
  14. ^ a b Ben Reifel: Post-Congress” (英語). South Dakota State University. 2021年5月19日閲覧。
  15. ^ “Sioux Falls School District shares one-year strategy for Ben Reifel MS concerns”. Dakota News Now. (Mar. 6, 2021). https://www.dakotanewsnow.com/2021/03/05/sioux-falls-school-district-shares-one-year-strategy-for-ben-reifel-ms-concerns/ 
  16. ^ Sneve, Joe. “Trump expected to sign legislation honoring former S.D. Congressman Ben Reifel” (英語). Argus Leader. 2021年5月29日閲覧。
  17. ^ Text - H.R.2454”. www.congress.gov (2020年12月21日). 2021年5月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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アメリカ合衆国下院
先代
ジョージ・マクガヴァン
アメリカ合衆国の旗 サウスダコタ州第1選挙区
選出議員

第7代: 1961年1月3日 - 1971年1月3日
次代
フランク・デンホルム