ベン・デービス (野球)
2016年7月16日 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ペンシルベニア州デラウェア郡チェスター |
生年月日 | 1977年3月10日(47歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 240 lb =約108.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 捕手、投手 |
プロ入り | 1995年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 | 1998年9月25日 |
最終出場 | 2004年10月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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マーク・クリストファー・デービス(Mark Christopher Davis, 1977年3月10日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州デラウェア郡チェスター出身の元プロ野球選手(捕手、投手)。右投両打。現在は、NBCスポーツ・フィラデルフィアでフィラデルフィア・フィリーズ戦の解説者を務める。
経歴
[編集]現役時代
[編集]1995年のMLBドラフト1巡目(全体2位)でサンディエゴ・パドレスから指名され、プロ入り。1998年9月25日にメジャーデビュー[1]。翌1999年は6月にメジャー昇格すると、この年パドレスの捕手で最多となる74試合にマスクを被った。特に6月18日からチームが14連勝した時には強気のリードで投手陣を引っ張る活躍が見られた[2]。
2001年5月26日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦では相手先発のカート・シリングが7回までノーヒットノーランを続けていたが、デービスは8回裏1死からセーフティバントを成功させ、シリングの無安打記録を途絶えさせた。試合は3-1でダイヤモンドバックスが勝利し、シリングが完投勝利を挙げたが、試合後にダイヤモンドバックスの監督だったボブ・ブレンリーがデービスを「チキン」と評して批判し、物議を醸した[3]。
2001年12月11日にトム・ランプキン、ブレット・トムコ、ラモン・バスケスとのトレードで、アレックス・アリアス、ワスカー・セラーノと共にシアトル・マリナーズへ移籍した[4]。マリナーズでは主にダン・ウィルソンに次ぐ2番手捕手として起用された。
2004年6月27日にミゲル・オリーボ、ジェレミー・リード、マイケル・モースとのトレードで、フレディ・ガルシアと共にシカゴ・ホワイトソックスへ移籍した[5]。オフにはトミー・ジョン手術を受けた。
2005年以降はメジャー出場が無く、各球団傘下のマイナーや独立リーグであるアトランティックリーグのカムデン・リバーシャークスでプレーした。また、2008年途中からは投手に転向し、2011年4月に引退を表明した。
引退後
[編集]引退後は2015年よりNBCスポーツ・フィラデルフィアでフィラデルフィア・フィリーズ戦の解説者を務める[6]。
詳細情報
[編集]背番号
[編集]- 25(1998年 - 1999年)
- 13(2000年 - 2004年途中)
- 12(2004年途中 - 同年途中)
- 31(2004年途中 - 同年終了)
脚注
[編集]- ^ “San Diego Padres at Arizona Diamondbacks Box Score, September 25, 1998” (英語). Baseball-Reference.com. 2022年3月7日閲覧。
- ^ 「ベン・デービス」『パンチョ伊東のメジャー・リーグMLB選手名鑑2000』ベースボール・マガジン社 301頁
- ^ “Some D'backs not happy Davis derailed perfection” (英語). USA Today. (2001年5月28日) 2022年3月7日閲覧。
- ^ 「30球団マンスリー・リポート サンディエゴ・パドレス マリナーズと3対3のトレード 新鋭バスケスで遊撃手難は解消か」『月刊メジャー・リーグ』 2002年2月号 ベースボール・マガジン社 65頁
- ^ 「30球団マンスリー・リポート シアトル・マリナーズ ガルシアは遂にトレードで放出… 新人ナジェオットが予想外の健闘」『月刊メジャー・リーグ』 2004年8月号 ベースボール・マガジン社 55頁
- ^ Jake Kaplan (2015年2月20日). “Ben Davis joins Phillies' broadcast team” (英語). The Philadelphia Inquirer. 2022年3月7日閲覧。