ベンツ (ニホンザル)
ベンツは、大分県大分市高崎山の高崎山自然動物園のニホンザルで、B群の第9代αオス(ボス猿)、C群の第9代αオス。
生涯
[編集]2つの群でαオスに
[編集]1987年に最年少の推定9歳で当時A - C群の3つあった群れのうちのB群のαオスとなった。しかし、1990年2月、C群の雌ザルを追い回して自分の群れを離れ、αオスの座を追われることになった。
C群に移ったベンツは、最下位から徐々に地位を向上して、2000年にはナンバー2となった。2001年から2002年にかけては、最大の群れであったA群との抗争の中心となり、争いに敗れたA群はサル寄せ場に姿を見せなくなった[1][2]。2011年2月には、在任期間が歴代最長であったゾロの後を継いで、C群の第9代αオスに就任した。異なる2つの群でαオスになったのは、高崎山では初めてのことである。就任時の年齢は推定33歳で、これは人間に換算すると100歳以上にあたる[3][4]。
失踪と復権
[編集]2013年9月14日から行方不明となっていたが、同年10月1日、園から約6km東の大分市内の市街地で発見され、保護された[5]。高齢で長期間群れを離れていたため、αオスとして復帰できるか不安視されたが、10月5日にαオスとして受け入れられたことが確認された[6]。ベンツの復帰が話題となったため、高崎山自然動物園の10月の入場者は例年の約1.4倍に増加し、大分市の試算ではその宣伝効果は8億2千万円を上回るとされた[7]。
一度は復帰したベンツであったが、2013年12月16日に目撃されたのを最後に、再び行方不明となった。同年12月23日以降、数度にわたり捜索が行われたが発見されず[8]、αオスが行方不明となってから1ヶ月が経過すると死んだとみなすという園の慣例に従い、2014年1月17日、死亡と認定したと発表された[9]。2月2日にC群第2位だったゾロメがαオスに認定され、就任式が行われた[10]。
名誉ボス
[編集]2023年に行われた「回顧高崎山70! 高崎山を彩った心に残るサル部門」では有効投票数の半分を超える253票を集めて1位を獲得し、二つの群れの両方でボスとなった唯一のサルとして、園から「名誉ボス」の称号を贈られた[11]。
名前
[編集]貫禄のある態度から、高級車であるメルセデス・ベンツに因んで「ベンツ」と名付けられた[12]。名前が「ベンツ」であることから、C群のαオスへの就任式の際にはメルセデス・ベンツを扱う大分ヤナセからミニカーとバナナが贈られた[3]。また、2011年11月3日には、オットー・F・ベンツルフトハンザドイツ航空日本支社長が、同名のよしみから、ベンツに会うために高崎山を訪れている。この際にも大分ヤナセの協力で、メルセデス・ベンツに乗って来園した[13][14]。
脚注
[編集]- ^ 伝説のボスザル「ベンツ」失踪、捜索続く 大分・高崎山 朝日新聞、2013年9月26日
- ^ 【大分】高崎山のボス 人間なら100歳 「ベンツ伝説」まだまだ続く 失踪、復帰-常識超えた!? “腹心"との絆固く 西日本新聞、2012年11月27日
- ^ a b 高崎山C群リーダー就任 “ベンツ"再発進 大分合同新聞、2011年2月9日
- ^ 高崎山「ベンツ」 ボスに返り咲き 二つの群れ制覇は初めて / 九州どうぶつランド 西日本新聞、2011年2月12日
- ^ “最高齢サル 大分市内で保護”. NHK. (2013年10月1日) 2013年10月2日閲覧。
- ^ ベンツ奇跡の“復権” 高崎山自然動物園 大分合同新聞、2013年10月5日
- ^ “ベンツ復帰の宣伝効果は8億円超 高崎山”. 大分合同新聞. (2013年11月1日) 2013年11月2日閲覧。
- ^ “高崎山“伝説”のボスザル、二度目の行方不明”. 読売新聞. (2013年12月24日) 2012年12月29日閲覧。
- ^ “ボスザル「ベンツ」死ぬ=失踪後に復権し人気再燃―大分・高崎山”. 時事通信. (2014年1月17日) 2014年1月17日閲覧。
- ^ “姿消し1か月、雄ザル・ベンツに「死亡」宣告”. 読売新聞. (2014年1月17日) 2014年1月17日閲覧。
- ^ 「高崎山愛され70年、個性的なサル魅力」『読売新聞』2023年3月30日。2023年6月19日閲覧。
- ^ 「ベンツ」同士、高崎山でご対面 読売新聞、2011年11月4日
- ^ ルフトハンザドイツ航空会社・日本支社長ベンツ氏が高崎山自然動物園を訪問します 大分市、2011年11月1日
- ^ 人・サル、ベンツ会談 車はもちろん… 大分・高崎山 asahi.com(朝日新聞社)、2011年11月4日