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ベルリン-マクデブルク線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベルリン-マクデブルク線
基本情報
ドイツの旗 ドイツ
起点 ベルリン
終点 マクデブルク
路線番号 201
運営者 ドイツ鉄道
路線諸元
路線距離 141.9 km
軌間 1,435 mm
線路数 複線
電化方式 交流15,000V 16.7Hz(長距離線)
第三軌条方式 直流800V(ベルリンSバーン)
最高速度 160 km/h
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ベルリン-マクデブルク線 (ベルリン-マクデブルクせん、ドイツ語: Bahnstrecke Berlin–Magdeburg)とは、ドイツ連邦共和国の首都ベルリンのヨルクシュトラーセ(グロースゲルシェンシュトラーセ)駅からブランデンブルク州を経てザクセン=アンハルト州マクデブルクマクデブルク中央駅に至る全長141.9kmのドイツ鉄道の路線である。

概要

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運行経路
tSTRe
ベルリンSバーン南北トンネル
exKS+BHFa STR
ベルリン・ポツダム駅
exKSBHFa exSTR STR
0.0 ベルリン・ヴァンゼー駅
exLSTR exLSTR LSTR
xABZg+l xKRZo STRr
TSBHFu xKRZu
3.5 ベルリン・ショェンベルク、ベルリン環状線
STR exABZg+l
SBHF exSTR
4.6 ベルリン・フリーデナウ
SHST exSTR
5.7 ベルリン・フォイエルバッハ街
STR exDST
ベルリン・シュテクリツ貨物駅
SHST exSTR
6.9 ベルリン・シュテクリツ役所 U9乗り換え
SBHF exSTR
8.2 ベルリン植物園
SBHF KDSTxa
9.2 ベルリン・リヒターフェルデ西駅
STR ABZgl
SBHF STR
10.8 ベルリン・ズントガウ街
SBHF eSBHF
12.0 ベルリン・ツェーレンドルフ
STRr xABZgr
ヴァンゼー線
exSHST
13.2 ツェーレンドルフ南駅
exSBHF
14.6 デュペル
exSTR+GRZq
ベルリン / ブランデンブルク州
exLSTR
STR+r xABZg+r
ヴァンゼー線
SBHF BHF
21.9 ポツダム・グリーベニツ湖
SBHF STR
ポツダム・バーベルスベルク
WBRÜCKE1 WBRÜCKE1
ヌーテ川
KSBHFe BHF
26.1 ポツダム中央駅
SBRÜCKE
国道2号
hKRZWae
ハーフェル川
HST
28.2 ポツダム・シャーロッテンホーフ
STRo
国道1号
ABZgl+l
ユーターボーク - ナウエン線
BHF
29.7 ポツダム・サンスーシ公園
LSTR
BHF
36.0 ヴェルダー (ハーフェル)
SKRZ-Au
アウトバーン10号
BHF
46.8 グロース・クロイツ
eABZgl
レーニン方面
BHF
50.2 ごェツ
SBRÜCKE
国道1号、国道102号
BHF
61.3 ブランデンブルク中央駅
LSTR
BHF
73.1 キルヒモェザー
BHF
76.5 ヴスターヴィツ
ABZg+r
ツィーザル方面
STR+GRZq
ブランデンブルク州 / ザクセン=アンハルト州
LSTR
BHF
91.5 ゲンティン
LSTR
BHF
106.2 ギューゼン (ゲンティン近郊)
BHF
117.6 ブルク (マクデブルク近郊)
exSTR+l eABZgr
exSTR SKRZ-Au
アウトバーン2号
exHST STR
123.9 ニーグリプ
exSTR BHF
125.0 モェーザー
exHST STR
128.1 ホヘンヴァルテ
exHST STR
131.7 ロスタウ
exHST STR
134.5 ゲルヴィシュ旧駅
exSTR BHF
130.5 ゲルヴィシュ
exSTRl eKRZ
旧線 マクデブルク方面
ABZg+l ABZqr+xr
BHF
133.7 ビーダーリツ
hKRZWae
エーレ川
HST
136.2 マクデブルク・ヘレンクルーク
hKRZWae
エルベ川
ABZgr+r
OeM線、MW線
BHF
139.6 マクデブルク・ノイシュタット
SBRÜCKE
国道1号
BHF
141.9 マクデブルク中央駅
STR
BM線、MT線、ML線

全線が複線電化である。1838年にベルリン・ポツダム鉄道として開業し、プロイセン最初の鉄道であった。1846年にマクデブルクまで延伸された。

歴史

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プロイセン王国の離宮がベルリンから西方に約25kmのポツダムに位置し、19世紀初頭にはポツダムは既に20万人以上の人口を有していた。イギリスは既に鉄道建設を開始していたにもかかわらず、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の懐疑的な姿勢がプロイセンにおける鉄道建設を遅らせた。バイエルン・ルートヴィヒ鉄道の開業がドイツ経済に大きな影響をもたらしたことから、プロイセンでもようやく鉄道建設が決定された。

ベルリン・ポツダム鉄道株式会社は1833年6月28日に設立され[1]、最初の区間は1838年に開業した。続いてポツダム・マクデブルク鉄道株式会社が1845年に設立され、ベルリン - ポツダム間の鉄道をマクデブルクに延伸し、後にベルリン・ポツダム鉄道株式会社を併合してベルリン・ポツダム・マクデブルク鉄道株式会社が設立された。

1870年にはベルリン・ポツダム・マクデブルク鉄道株式会社、マクデブルク・ハルバーシュタット鉄道、マクデブルク-ライプツィヒ鉄道株式会社が合同でマクデブルク中央駅建設のために55ヘクタールの用地を購入した。

国有化と高速化

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1891年10月1日に現在のルートのヴァンゼー線がツェーレンドルフ - ベルリン間を並行する形で開業した。1928年にはヴァンゼー - ポツダム間にベルリンSバーンが延伸された。 1933年5月15日にはベルリン - ツェーレンドルフ間の長距離線も電化された。さらに、長距離線を走行していた電車はヴァンゼーを経由せずにポツダムに至るルートで蒸気機関車牽引の近郊列車として存続した。1939年にはデュッペル駅が開業した。ポツダム駅は戦争被害で1945年に閉鎖され、Sバーンの南区間も二度と復旧することがなかった。

第二次世界大戦後

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マクデブルクのヘレンクルーク橋はひどく損傷したが、応急処置により1946年3月12日に運行が再開された。ソビエト連邦への賠償のために1948年までに複線のうち片側の線路が撤去され単線化された。

1945年4月にはテルトー運河に架かる鉄橋が爆破され、グリーブニッツ - デュッペル間は賠償のために単線化された。同年12月1日の段階ではデュッペル - ツェーレンドルフ間にはシャトル便が運行されるだけであった。 1948年6月15日時点では当区間は電化されていたにもかかわらず、経費削減のために蒸気機関車で運行されていた。ベルリンの壁の建設後の西ベルリン側でのSバーンへの不乗車運動および並行バスの運行開始の影響を受けた。列車には乗客が1人もいないこともあったにもかかわらず、1972年12月20日には東ドイツ国鉄はツェーレンドルフ - デュッペル間に新駅としてツェーレンドルフ・ズュート駅を建設した。 1980年夏に西ベルリン側でSバーンの従業員によるストライキが発生し、同年9月18日にはツェーレンドルフ - デュッペル間のSバーンが廃止された。

1952年にはグリーブニッツ駅に国境管理施設が設置された。単線化の影響で輸送力は著しく減少していた。1957年にベルリン外環状線が開業すると、東ベルリン - ヴェルダー(ハーフェル)間の長距離列車のルートが変更されベルリンの壁建設後はグリーブニッツ駅が東ドイツと西ベルリンの境界駅としての重要度が増し、配線も変更されるようになった。マクデブルク - ヴェルダー(ハーフェル)間の再複線化は1976年に完成した。1983年にはヴェルダー(ハーフェル) - ベルリン=ヴァンゼー間の再複線化が行われた。

再統一後

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グリーブニッツ - ブランデンブルク間の電化が1995年12月に行われ、ICEはブランデンブルク経由で運行されるようになった。同時に最高速度は160km/hに引き上げられた。

1998年9月のハノーファー-ベルリン高速線開業後は長距離列車は高速線経由に切り替えられた。1999年には新たにポツダム中央駅が開業した。これに伴い旧ポツダム貨物駅は廃止された。

今日まで残る長距離列車は1日1往復のコトブス - ベルリン - マクデブルク - ハノーファー - ノルトダイヒを結ぶインターシティのみである。


脚注

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関連項目

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