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ベルリン陥落 1945 (書籍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベルリン陥落 1945
Berlin: The Downfall 1945
著者 アントニー・ビーヴァー
訳者 川上洸
発行日 イギリスの旗 2002年
日本の旗 2004年7月1日
発行元 イギリスの旗 ヴァイキング・プレス
日本の旗 白水社
イギリスの旗 イギリス
言語 英語
ページ数 イギリスの旗 501
日本の旗 671
コード ISBN 978-0141032399
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ベルリン陥落 1945』(ベルリンかんらく 1945、Berlin: The Downfall 1945)は、第二次世界大戦におけるベルリンの戦いを描いたアントニー・ビーヴァーによる歴史物語である。2002年にヴァイキング・プレス、翌2003年にペンギン・ブックスから出版された。ビーヴァーは本書と1998年発表の『スターリングラード 運命の攻囲戦1942-1943英語版』であわせて300万部近くを売り上げている[1]

内容

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本書は1945年のベルリンの戦いでの出来事を再訪し、赤軍がいかにして国防軍を破り、ヒトラー第三帝国を終わらせ、欧州戦線も終結させたかを叙述している。本書にはビーヴァーのこのテーマに関する研究を扱ったBBCタイムウォッチ英語版番組が付随していた[1][2]

受賞

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ビーヴァーは2003年にロングマン=ヒストリー・トゥデイ賞英語版の評議員賞を受賞した[1][3]

論争

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本書は主にロシアにおいて[4]赤軍がドイツ市民に対して行った残虐行為に関する記述を中心に批判を浴びた。特に、戦前と戦後にドイツ人女性とソ連の女性の強制労働者への強姦英語版が広く行われていたことが記されている。在英ロシア大使のグリゴリー・カラーシンは、本書が「嘘」であり、「ナチズムから世界を救った人々に対する中傷」であると非難した[5]

ロシア第二次世界大戦歴史家協会の会長であるオルグ・レジェシェフスキー教授は、ビーヴァーはソ連軍を人間以下の「アジアチックな大群」として描いたネオナチの歴史家の信頼を失った人種差別的な見解を復活させただけであると述べた[6]。レジェシェフスキーは、ビーヴァーによる本書での「ベルリン市民はおぼえている」、「ドイツ人女性のレイプ経験」といった表現は、「科学的研究というより、パルプ・フィクションだ」と評している。さらに彼は、ドイツ人はソ連での行動の後の「復讐の嵐」を予測できたはずだが、「それは起こらなかった」と述べた[7]

この反応に対してビーヴァーは、第1ウクライナ戦線政治将校であるツィガンコフ将軍の報告書の抜粋を資料として用いたと述べてる。彼は、「この問題に関する証拠の大部分は、ソ連の資料、特にGARF(ロシア連邦国家文書館英語版)にあるNKVDの報告書と、信頼できる幅広い個人の証言得られた」と述べている[8]。ビーヴァーはまた、ロシアの歴史家が「1945年の『解放者』としての赤軍の英雄神話とは相反する自国の文書館に資料に対し、より客観的なアプローチをとる」ことを望むと述べた[9]

エクセター大学の歴史家のリチャード・オーヴェリー英語版は、本書に対するロシアの反応を批判し、ビーヴァーを擁護している。オーヴァリーはロシア人がソ連の戦争犯罪を認めようとしなかったことを非難し、「その理由の一つは、彼らが、より悪質なことをした敵に対する正当な復讐であると感じたからであり、また、彼らが勝利者の歴史を書いているからでもある」と述べた[7]

日本語版

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  • アントニー・ビーヴァー 著、川上洸 訳『ベルリン陥落 1945』白水社、2004年7月1日。ISBN 978-4560026007 
  • アントニー・ビーヴァー 著、川上洸 訳『ベルリン陥落 1945 (新装版)』白水社、2017年8月19日。ISBN 978-4560095720 

参考文献

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  1. ^ a b c Antony Beevor Biography”. Literary Festivals (May 31, 2011). 23 September 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。March 27, 2012閲覧。
  2. ^ Remme, Tilman (2014-03-15), Battle for Berlin, https://vimeo.com/89171060 2017年12月10日閲覧。 
  3. ^ Awards Winners”. History Today. September 16, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。March 27, 2012閲覧。
  4. ^ Johnson, Daniel (25 January 2002). “Russians angry at war rape claims”. Telegraph. 24 January 2003時点のオリジナルよりアーカイブ。4 March 2009閲覧。
  5. ^ Grigory, Karasin (25 January 2002). “Lies and insinuations”. London: Telegraph. https://www.telegraph.co.uk/comment/letters/3572273/Lies-and-insinuations.html 10 July 2014閲覧。 
  6. ^ Rzheshevsky, Oleg A. (2002). “[The Berlin Operation of 1945: Discussion Continues]” (Russian). Мир истории [World of History] (4). 
  7. ^ a b Summers, Chris (29 April 2002). “Red Army rapists exposed”. BBC News Online. http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/1939174.stm 27 May 2010閲覧。 
  8. ^ Cragg quotes Beevor (Beevor, Antony (11 November 2010). "Chatting Up A Storm - Remembrance (Veterans') Day II - Professor Antony Beevor, 'D Day - The Battle for Normandy'". ChatChat - Claudia Cragg (Interview). Interviewed by Claudia Cragg.).
  9. ^ Von Maier, Robert; Glantz, David M. (1 November 2008). “Questions and Answers: Antony Beevor”. World War II Quarterly 5 (1): 50. ISSN 1559-8012. オリジナルの24 March 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120324140608/http://www.antonybeevor.com/biography/WWII_Quarterly_%285.1%29%5B1%5D.pdf. 

外部リンク

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