ベルナール2世 (オーヴェルニュ伯)
ベルナール2世 Bernard II | |
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オーヴェルニュ伯 | |
在位 | 864/872年 - 886年 |
出生 |
841年3月22日 フランク王国、ユゼス |
死去 |
886年 |
配偶者 | エルマンガルド |
子女 |
ギヨーム1世 アデリンダ |
家名 | ギレム家 |
父親 | セプティマニア辺境伯ベルナール |
母親 | ドゥオダ |
ベルナール2世(フランス語:Bernard II Plantevelue/Plantapilosa, 841年3月22日 - 886年[1])は、オーヴェルニュ伯(在位:864/872年 - 886年)、オータン伯、セプティマニア辺境伯。セプティマニア辺境伯ベルナールとドゥオダの子。885年にフランク王カール3世よりアキテーヌ侯の地位を与えられた。
生涯
[編集]母ドゥオダによって書かれた『手引書(Liber Manualis)』によると、ベルナールはルートヴィヒ1世の死の翌年、ユゼスで生まれた。
868年より前にセプティマニア辺境伯に任ぜられた。また、857年から868年までブリウドの在俗修道院長をつとめた。しかし876年までにはベルナールは位を剥奪され、代わってベルナール・ド・ゴティがセプティマニア辺境伯となった。その後ベルナールは再びカール3世のもとに戻り、プロヴァンス王ボソとの戦いにおいてマコン伯領を手に入れた。
子女
[編集]ベルナールはエルマンガルド(オーヴェルニュ伯ベルナール1世もしくはゲラン・ド・プロヴァンスの娘)と結婚し、少なくとも以下の2人の子女をもうけた。
あだ名の語源
[編集]PlantevelueまたはPlantapilosaはしばしば「毛深脚伯」と訳される[2]。これは、ラテン語のplantaが「足の裏」を意味することからきている。しかし、アクイタニア語の近縁の言語とされるバスク語においては、plantaは「容姿」を意味し、「毛深い容姿」という意味となる。また、ラテン語のplantaには「繁殖の芽」の意味もあるため、エニシダの芽がふさふさであるという「ふさふさの芽」という意味は、後の「プランタジネット」の名と比べることができる[3]。昔のアクィタニアでは、神の名はバスク語の動植物を示す語と語源が同じであった。
脚注
[編集]- ^ 1月6日もしくは8月16日といわれる。
- ^ E.g. Chris Wickham, The Inheritance of Rome, p. 511
- ^ Dr. John S Plant (2007), "The Tardy Adoption of the Plantagenet Surname", Nomina, esp. Appendix A: An opinion concerning the name Planta-pilosa.
参考文献
[編集]- MacLean, Simon. Kingship and Politics in the Late Ninth Century: Charles the Fat and the end of the Carolingian Empire. Cambridge University Press: 2003.
- Hummer, Hans J. Politics and Power in Early Medieval Europe: Alsace and the Frankish Realm 600 – 1000. Cambridge University Press: 2005.
関連項目
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