ベルトラン (トゥールーズ伯)
表示
ベルトラン Bertrand | |
---|---|
トゥールーズ伯 トリポリ伯 | |
ベルトランに降伏するファフル・アルムルク・イブン・アンマル | |
在位 |
トゥールーズ伯:1095/1105年 - 1108年 トリポリ伯:1109年 - 1112年 |
出生 |
1065年ごろ |
死去 |
1112年4月21日 トリポリ伯国、トリポリ |
配偶者 | エレーヌ・ド・ブルゴーニュ |
子女 | ポンス |
家名 | トゥールーズ家 |
父親 | トゥールーズ伯レーモン4世 |
ベルトラン(フランス語:Bertrand de Toulouse, 1065年ごろ - 1112年4月21日)は、トゥールーズ伯(在位:1095/1105年 - 1108年)および初代トリポリ伯(在位:1109年 - 1112年)。
生涯
[編集]ベルトランはトゥールーズ伯レーモン4世の長男である[1]。父レーモン4世が1095年に第1回十字軍に参加した後から、ベルトランがトゥールーズを統治した。1098年から1100年まで、ベルトランは従姉妹フィリッパとその夫アキテーヌ公ギヨーム9世によって追放され、フィリッパらはトゥールーズに入りこれを手に入れた。その後、1100年にギヨーム9世の聖地に向けての遠征に資金を提供するため、フィリッパとギヨーム9世はトゥールーズを抵当としてベルトランに返却した。1105年に父レーモン4世が死去したためベルトランは正式にトゥールーズ伯となり、1108年にベルトランはトリポリも支配下に置くため同地に向かった[2]。1109年にレーモン4世の甥サルダーニャ伯ギヨーム・ジュルダンを名目上のトリポリ伯の位から追放し、エルサレム王ボードゥアン1世およびジェノヴァ艦隊とともに7月12日にトリポリを手に入れた[3]。
ベルトランは1095年6月にブルゴーニュ公ウード1世の娘エレーヌと結婚した[4]。
ベルトランは死去する1112年までトリポリを支配した。息子ポンスがベルトランの跡を継いでトリポリ伯となり、ベルトランの異母弟アルフォンス・ジュルダンがトゥールーズ伯となった。しかしこのときにトゥールーズは再びフィリッパとギヨーム9世が手に入れた。
脚注
[編集]- ^ William of Puylaurens 2003, p. 17.
- ^ Asbridge 2000, p. 115.
- ^ Venning 2015, p. 67.
- ^ Bouchard 1987, p. 256.
参考文献
[編集]- Asbridge, Thomas S. (2000). The Creation of the Principality of Antioch, 1098-1130. The Boydell Press
- Bouchard, Constance Brittain (1987). Sword, Miter, and Cloister: Nobility and the Church in Burgundy, 980–1198. Cornell University Press
- Venning, Timothy (2015). A Chronology of the Crusades. Routledge
- William of Puylaurens (2003). The Chronicle of William of Puylaurens: The Albigensian Crusade and its Aftermath. The Boydell Press
|
|
|
|
|