ベリ・チャラック
ベリ・チャラック | |
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アスケナ・ロック・フェスティバルでのベリ・チャラック | |
基本情報 | |
出身地 | ナバーラ州 レクンベリ |
ジャンル |
オルタナティブ・ロック オルタナティブ・メタル |
活動期間 | 1994年- |
レーベル | Gor Diskak、ロードランナー・レコード |
メンバー |
ゴルカ・ウルビス ダビド・ゴンサーレス ガルデル・イサギレ |
旧メンバー |
アイトール・オレハ ミケル・ロペス アイトール・ゴイコエチェア |
ベリ・チャラック(バスク語: Berri Txarrak)は、スペインのバスク地方で活動するスリーピースのロックバンド。意味はバスク語で「悪い知らせ」(Bad News)。1994年にスペイン・ナバーラ州レクンベリで結成され、バスク語で歌っている。
歴史
[編集]1994年、17歳のゴルカ・ウルビス(ボーカル・ギター)とアイトール・ゴイコエチェア(ドラム)によるプロジェクトとして、ナバーラ州レクンベリで結成された。さらにミケル・ロペス(ベース)とアイトール・オレハ(ギター)を加え、この4人の体制が2004年まで続いた。当初、ウルビスとゴイコエチェアは別プロジェクトとベリ・チャラックを並行していたが、1997年にはベリ・チャラックに専念するようになった[1]。6曲入りのデモテープをリリースした後、バンドは別のデモテープや新人コンテストでいくつかの賞を受賞し、1997年秋に『ベリ・チャラック』(バンド名と同名)をレコーディングすることが認められた。『Lotsarik gabe』、『500 urte ta gero』、『Ardifiziala』のようなシングルのおかげでバスクのロックシーンに飛躍することができた。バンドのメンバーによると、このアルバムは彼らの音楽の先に進むステップであり、後の作品のベースとなったという。
1999年には2ndアルバム『Ikasten』(学ぶ)をリリースした。このアルバムではベリ・チャラックのスタイルが発展し、『Ikusi arte』(またね)、『Ez』(いいえ)、『Ikasten』などの曲は、ライブで多く披露されている[1]。2000年のゼロ・レコーズの『Tributo a Judas Priest』、2001年のGORから出された『Nafarroa, Hitza Dantzan』(ナバーラ、言葉が踊る)など、多数のコンピレーションアルバムに参加している。2年後の2001年、3rdアルバムの『Eskuak/Ukabilak』をリリースした。『Oihu』、『Stereo』、『Biziraun』など何曲かの称賛を受けた曲が収録されており、『Biziraun』はガステア・サリア賞の年間最優秀ソングに選ばれた。このアルバムによってベリ・チャラックはバスク地方外の公衆やメディアの注目も集めた[1]。2003年、バンドは4thアルバムの『Libre』をリリースし、イギリス、デンマーク、ドイツをまわった初のヨーロッパツアーで好意的な批評や知名度を得た。このアルバムはバンド史上もっともハードコアなアルバムである。スパニッシュ・ロック・サウンド・マガジン誌で年間最優秀ロックアルバムに選ばれ[2]、エウスカディ・ガステア誌では最優秀スペイン・アルバムに選ばれた。『Denak ez du balio』、『Hil nintzen eguna』、『Izena, izana, ezina』などの興味深い曲を収録しており、『Denak ez du balio』ではアメリカ合衆国のメロコアバンド、ライズ・アゲインストのティム・マクラスをボーカルのゲストに呼んでいる[1]。
長いツアー後の2004年には、約10年間ともに活動してきた4人のメンバーのうち、ギターのアイトール・オレハが脱退した。2005年、ゴルカ・ウルビス、アイトール・ゴイコエチェア、ミケル・ロペスはスリーピースバンドとして活動していくことを決め、5thアルバムである『Jaio.Musika.Hil』の制作に取り掛かった。このアルバムではエド・ローズをプロデューサーに起用し、Kerrang!誌、Rockzone誌、Mondosonoro誌などで年間最優秀アルバムに選ばれた[2]。メキシコとニカラグアを訪れるツアーを行い[1]、アメリカ合衆国も訪れた[3]。2006年のヨーロッパツアーではライズ・アゲインストのサポートを得た[4]。ツアー中には新曲も発表した[1]。
2005年から2008年にかけて、ボーカルのウルビスはペイレマンス+(Peiremans+)やカタマロ(Katamalo)などのプロジェクトでも活動している。2007年3月、ベリ・チャラックは台湾と日本をめぐるツアーを行い、日本では東京の六本木ロック・ファクトリーでライブを行った。その後にはドイツやアイルランドをめぐっている。同年にレッド・ホット・チリ・ペッパーズがバスク州ビルバオで行ったライブでは前座を務めた。2008年7月にはフジ・ロック・フェスティバル(前夜祭)のために再訪日した[2]。
2008年にはドラムのミケル・ロペスが脱退し、ダビド・ゴンサーレスがドラムとして加入した。2008年末、2009年9月にロードランナー・レコードから新アルバムをリリースすることを発表した。レコーディングはアメリカ合衆国・シカゴのエレクトリカル・オーディオ・スタジオでスティーヴ・アルビニによって行われ、この6thアルバムには4thアルバムにも起用したティム・マクラスがゲストに迎えられた。2009年6月29日には自身のMySpaceのページとロードランナー・レコードのウェブサイト上で、『Dortoken Mendean』という新シングルが視聴可能になった[1]。2010年には再度訪日し、日本のエモコアバンドであるBRAHMANと九州ツアー(鹿児島県国分市・大分県大分市)を行った[2]。2010年には初期メンバーでベースのアイトール・ゴイコエチェアが脱退し、ガルデル・イサギレがベースとして加入。このメンバー変更で、ボーカルのゴルカ・ウルビスを除くメンバーは2000年代後半以後に一新された。2011年1月、ベリ・チャラックは『Folklore』という曲で、第10回インデペンデント・ミュージック・アワードの最優秀パンクソングにノミネートされた[5]。2011年は、スリップノットやコーンなどを手掛けた著名プロデューサーのロス・ロビンソンとともに、『Haria』(糸)というタイトルの7thアルバムの制作に没頭した。『Haria』は2012年2月に発表され、様々な国をまわるツアーを行った。2014年には8thアルバム『Denbora Da Poligrafo Bakarra』を発表した。
メンバー
[編集]現在のメンバー
[編集]- ゴルカ・ウルビス(1994年-) - ボーカル・ギター、時としてピアノを弾くこともある
- ダビド・ゴンサーレス(2008年-) - ドラム
- ガルデル・イサギレ(2010年-) - ベース
過去のメンバー
[編集]- アイトール・オレハ(1994年-2004年) - ギター
- ミケル・ロペス(1994年-2008年) - ドラム
- アイトール・ゴイコエチェア(1994年-2010年) - ベース
ディスコグラフィー
[編集]アルバム
[編集]- 未発表のデモ (1994年)
- Berri Txarrak (1997年, GOR Diskak)
- Ikasten (1999年, GOR Diskak)
- Eskuak/Ukabilak (2001年, GOR Diskak)
- Libre © (2003年, GOR Diskak)
- Jaio.Musika.Hil (2005年, GOR Diskak)
- Payola (2009年, ロードランナー・レコード)
- Haria (2011年, ロードランナー・レコード)
- Denbora Da Poligrafo Bakarra (2014年)
EP
[編集]- Maketa (1995年)
コンピレーションアルバム
[編集]- Denak ez du balio (SINGLES 1997-2007) (2010年, GOR Diskak)
ライブアルバム
[編集]- Zertarako Amestu (2007年, GOR Diskak)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “Berri Txarrak's biography” (Basque). ベリ・チャラック公式サイト. 2007年10月3日閲覧。
- ^ a b c d “BERRI TYARRAK JAPAN TOUR 2010!”. ラフスピ (2010年10月25日). 2015年2月1日閲覧。
- ^ Basque Educational Organization. 2007年7月19日閲覧
- ^ Rise Against Concert Review Archived 2007年9月14日, at the Wayback Machine. Drowned in Sound, 2006年9月10日, 2007年7月19日閲覧
- ^ “Berri Txarrak”. Independent music awards. 2013年8月17日閲覧。