ベラフォン・レコード
ベラフォン・レコード Bellaphon Records | |
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設立 | 1961年 |
設立者 | ブラニスラフ・ジバノヴィッチ |
ジャンル | 様々 |
国 | ドイツ |
本社所在地 | フランクフルト |
公式サイト | www |
ベラフォン・レコード(Bellaphon Records)は、「ベラフォン・レコード GmbH」の所有するドイツの独立系レコード・レーベル。このレーベルは独自にアーティストをプロデュースし、他レーベルのアーティストの配給もしている。
歴史
[編集]ベラフォンは、1961年にブラニスラフ・"ブランコ"・ジバノヴィッチ(1923年 - 1993年)によって設立された。同社はフランクフルトに本社を置いている[1]。
所有するレーベル
[編集]1972年、ベラフォン・レコード・リーデル&カンパニーKGは、ベラフォン・レコードとアドミラル・レコードを所有した。
代表されるレーベル
[編集]1972年、ベラフォン・レコード・リーデル&カンパニーKGは、下記レーベルの代表となった。Musidisc(フランス)、オレンジ、リフレクション(どちらもイギリス)、オーディオ・フィデリティ、バング、ブランスウィック、カデット、カデット/コンセプト、カサブランカ、チェッカー、チェス、ファンタジー/ギャラクシー、ホット・ワックス(すべてアメリカ)、ジャナス、GRT(どちらもカナダ)[2]。
配給されるレーベル
[編集]1982年、ベラフォン・インポートは、西ドイツ全土にある65のドイツの小さなロック、ポップス、ジャズ・レーベルの販売代理店であった。レーベルには、バシラス(Bacillus)や、人気のジャズとブルースのレーベルであったL&Rが含まれていた[3]。ベラフォンが販売を手がけた、その他の注目すべきレーベルには、コンコードやエンヤがあった。
創設者の死
[編集]ブランコ・ジバノヴィッチは、ベラフォンの社長在任中であった1993年5月29日にフランクフルトで死去した[4]。彼の未亡人となったユッタ・ジバノヴィッチ=リーデルが会社の責任者を引き継いだ。伝えられるところによれば、彼女はこのビジネスにうまく対処することができず、長い年月にわたって分散レーベルの数々や、ほぼすべてのアーティストを失ったという。配給できるようになったのは、数少ないドイツのシュラーガー・アーティスト(例: ギャビー・バギンスキー、マイケル・モーガン)や、数少ない国際アーティスト(オリビア・ニュートン=ジョン、グレアム・ゴーブル)ぐらいであった。
レコーディング・アーティスト
[編集]脚注
[編集]- ^ "Bellephon Parlays Motown Into Intl. License Lead," Billboard, May 8, 1982, pg. 63
- ^ "International Music-Record Directory," Billboard International Buyer's Guide, 1971–1972, pg. 306
- ^ "Exports Help Offset Drop in Domestic Sales," by Jim Sampson, Billboard, August 21, 1982, pps. 3 & 60
- ^ "Deaths – Branko Zivanovic," Billboard, June 19, 1993, pg. 80
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- ベラフォン・レコードのディスコグラフィ - Discogs