ベティー・レーン・チェリー
ミス・ワールド1956プログラムブックより | |
プロフィール | |
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出身地 | サウスカロライナ州オレンジバーグ |
毛髪の色 | ヘーゼルブロンド |
公称サイズ(時期不明) | |
身長 / 体重 | ― cm / ― kg |
活動 | |
備考 | ミス・ワールド1956準優勝 |
他の活動 | Modeling Association of America International会長 |
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ベティー・レーン・チェリー(Betty Lane Cherry、1937年頃 - )は、ミス・ワールド1956で準優勝した人物。サウスカロライナ州オレンジバーグ出身。
経歴
[編集]1937年頃、サウスカロライナ州オレンジバーグに生まれる。
サウスカロライナのミスコンMaid of Cottonタイトルホルダー[1]。Miss South Carolina USA優勝[2]。Miss USA 1956準優勝[3]。
国を代表してミス・ワールド1956に出場。準優勝。
勝者の発表に際して運営サイドの不手際があった。6人のファイナリストが並んで紹介されたとき、彼女がサッシュ[4]を着けているのを見たBBCのアナウンサーは言った「おや、優勝はミスUSAのようです。サッシュを着けています」。すると担当者は慌ててサッシュをひったくる。アナウンサー「失礼しました。何かあったようです」。結局、サッシュとミス・ワールドの称号はペトラ・シュルマンに渡された[1]。チェリー本人の証言によると「誰かが後ろに来てサッシュをはがした。審査員らは、私が勝ったつもりでいるのが気に入らなかった」。また「不思議なことに、誰が私の肩にサッシュを掛けたのか審査員らも知らなかった」。なお、ミス・ユニバース2015で誤って優勝と宣言されたアリアドナ・グティエレスと異なり、彼女の場合は正式に優勝とは誰も言ってない[5]。
決勝の後、記者に次のように話した:
しかし、彼女にとって準優勝は負けではなかった。ヨーロッパのどの新聞も彼女について書きたて、ゲストとして多くの国に招待された。シャペロンとともにフランスを訪れ、ファッションショーに出演したこともある。ほかにドイツ、イタリア、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンを訪問した[5]。
映画『成功の甘き香り』(1957年10月24日公開)のオファーを断るが、替わりに引き受けた女優は後にアカデミー賞を受賞した。Columbia College卒業後、オレンジバーグに戻り、John “Johnny” Gramlingと結婚。延べ50年近くModeling Association of America Internationalの会員。同会長を3期務める[5]。
出典
[編集]- ^ a b c Eddy Gilmore (1956年10月16日). “Miss Germany Wins World Beauty Title”. San Mateo Times (San Mateo CA USA)
- ^ “Hall Of Fame: Miss South Carolina USA”. misssouthcarolinausa.com. 2015年1月15日閲覧。
- ^ “Iowa Beauty Wins Title of Miss U.S.A.”. Toledo Blade (Toledo OH USA). (1956年7月19日)
- ^ 優勝者に掛けられるたすき状の布
- ^ a b c Dale Linder-Altman (2015年12月21日). “Orangeburg queen also incorrectly labeled winner”. 2021年5月25日閲覧。
- ^ 「2秒という時間が誰かを優勝に変えることはありません」というdouble meaning